まーたる、ショートストーリーを書いてみた第28弾ヽ(*´∀`)
お楽しみいただけたら幸いです(*´∀`*)
「オリオンのなみだ」
1 御形三重奏
思えば七音は子どもの頃から絵を描くのも、粘土細工も彫刻も得意で、小学校では六年間を通して図工は全て◎、中学校での美術の成績も三年間オール5だった。
高校を決めるときは特にここだという学校もなかったから、進学するならば得意分野を活かせる学校にしようと思っていた。
しかし大学ならまだしも美術系の高校となると数も少なく、たまたま通学距離圏内に美術・音楽系の御形学院高等学校があったからという、わりと軽い気持ちでの受験だった。
大学の付属校である御形学院高等学校は、しかし七音のように軽い気持ちで受験するような高校ではなかった。
偏差値も高く、音楽家や芸術家を本気で目指す者たちが集う全国でも数少ない芸術系の学校なのだ。
だからどうしても芸術家になりたい、将来は美術系の仕事に就きたいと希望しているわけでもない七音がこの学校を受験すると言ったとき、家族も担任もあまり芳しい態度ではなかった。
いくら七音の成績がトップクラスとはいえ、御形の壁はあまりにも高い。
何といっても受験希望者は全国に多数おり、音楽科、美術科は一学年にそれぞれ30名しかいない少数精鋭の集まりなのだ。
三者面談ではどこの高校でも大丈夫でしょうと言っていた担任も、七音から御形の名前を聞くと驚きの表情をあからさまに見せた。
そして江藤には理系の進学校とかが合ってるんじゃないか?と、やんわりと御形は無理だろうという雰囲気を醸し出してくる。
なんとなくという気持ちでは合格できない高校であることは七音にもわかっていた。
ただ親や担任が勧める進学校に行っても、その先に何も見えなかったのだ。
クラスメイトたちに見えている将来の自分の姿が、自分には全く見えてこない。
もし御形に合格すれば見えてくるかもしれない。
夢と希望に満ちた新たなクラスメイトの中にあえて自分を置くことで、自分の将来の姿がおぼろげであっても見えてくるかもしれない。
ーーこれは賭けだ。
周りの合格は無理だという雰囲気を感じれば感じるほど、自分の長所である負けず嫌いがむくむくと湧き上がり、七音は高い倍率にもかかわらず御形学院高等学校美術科・造形クラス彫刻専攻への合格を勝ち取ったのだった。
「七音!なーおとー!」
入学してからおよそ1ヶ月半が過ぎた、梅雨入りも間近の金曜日。
昼休みもそろそろ終わろうかという、しかしまだ楽しげな騒めきも賑やかな教室で名前を呼ばれた七音は振り返った。
見ると諒平がテキストを数冊抱えて駆け寄ってくる。
「七音、おまえ今あいてる?」
「んー、特になんもないけど、なんで?」
「これなんだけどさ」
諒平が差し出したのは音楽の分厚いテキストと楽譜だった。
「楽譜?」
諒平が委員会の集まりからの帰り、校舎と校舎の間にある中庭の噴水脇のベンチに置かれていたのを見つけたらしい。
「瀬戸のテキストなんだよな」
テキストの裏には諒平の言う名前が流れるような文字で書かれてあった。
ーー花音……。
「あぁ、もう昼休み終わっちまうな。
おまえ、放課後返してきてくれよ」
「オレが?」
おまえが行ってこいよという七音の言葉を遮るように諒平はニヤッと笑うと、
「トリオだからな」
「だから何なんだよ、その『トリオ』っていうのはさ」
七音ははぁっと息をつき諒平を軽く睨む。
「御形のトリオと言えば、もはや知らないやつがいないくらいの我が校きってのスター三人組だろ?
トリオが揃ってるとこ、オレらも見たいじゃん?
「はぁ?」
マジで馬鹿馬鹿しいと思いながら諒平からテキストと楽譜をひったくるように受け取ると同時に、午後の授業を知らせるチャイムが穏やかに鳴り響いた。
江藤七音。
瀬戸花音。
阿久津凛音。
御形学院高等学校に今年入学した三人は、しばらくすると同級生はもとより上級生からも一目置かれるようになった。
爽やかで明るく社交的、誰とでもフランクに接する嫌味のない性格の七音は、美術科の中でも中心的存在で誰からも好意を持たれていた。
それとは対照的に一人を好む孤高のクールビューティーと密かにもてはやされているのが、同じ美術科の阿久津凛音。
陶器のような白い肌、涼やかな目元、艶やかなショートボブが目を引く高校生らしからぬ美しさに加えて、トップクラスの成績、一際抜きん出た絵画センスの持ち主とくれば、凛音に生半可な嫉妬や妬みを向ける者は誰一人としていない。
そして百年に一人ではないかと言われるほどの才能を持ち、将来は日本を代表するピアニストになるという評判高い音楽科の瀬戸花音。
ふんわりとした甘やかな愛らしい容貌で、男子生徒はすぐに花音に魅力されたといっても過言ではない。
しかし一旦ピアノに向かうと花音の様子は一変する。
憑依型と言われているだけあって、まるで作曲家が憑依しているのではないかと感じるほど、情熱的に超絶技巧の演奏をしてのける才能に満ち溢れているのだ。
三者三様、才能と人目を引くこの三人に、いつしか『御形三重奏』という呼び名がついたのは自然と言えば自然の流れだった。
七音、花音、凛音。
三人の名前に共通する『音』の文字。
三つの楽器が揃って奏でる『三重奏(トリオ)』になぞらえた呼び名。
ーーよく思いつくよな。
言われるたびに七音は苦笑いを浮かべてしまう。
あの二人はそう呼ばれても何の違和感もないし、その名前に相応しい才能を持っている。
でも自分は……。
七音は才能に満ちた花音と凛音に並んで立てるほどのものは自分には何もないと、どこか劣等感のようなものを感じずにはいられなかった。
午後の授業が終わるとそのまま帰宅する者、開放された美術室や技術室で作品を作成する者とで各々支度を始める。
音楽科でも数多くあるレッスン室で個人レッスンを受けたり、広大な敷地内のそこここで専攻する楽器を奏でたりと、校内には音楽と芸術が日々溢れていた。
今日は帰るからテキストよろしくなと言う諒平に軽く手を上げて、七音は音楽科のある校舎へと向かった。
花音は放課後はたいてい個人レッスンを受けているので、おそらくまだ校内にいるはずだ。
日本でのコンクールを総なめにし、中学生になるとすぐに海外へ留学していた花音は、将来世界で活躍する有望なピアニスト候補として周囲から最も期待されている。
その証に花音は特別に御形大学の教授からレッスンを受けることを許されていた。
ーー普段の花音からは想像できないけどな。
タンタンタンと軽やかに階段を駆け上がりながら七音は思う。
音楽科の校舎はとても静かで、個人レッスンの時間なのか生徒の姿はほとんど見当たらなかった。
花音ももうレッスンが始まったのかもしれないと、レッスン室の方へ行こうとした七音の耳に、かすかにピアノの音が聞こえてきた。
その音色は反対側にある音楽室から聞こえてくるようで、七音は引き寄せられるように音楽室へ向かう。
近づいてみるとやはり音色は音楽室から聞こえており、ドアの小窓からそっと中を覗いた七音は思わず目を細めた。
ーーあぁ、やっぱり……。
音楽室の中には開け放たれた窓から入り込む優しい風を心地良さそうに受けて、うっとりとした表情で鍵盤に指を踊らせている花音の姿があった。
爽やかな初夏の風が花音のやわらかな髪をふわりと遊ばせているのを楽しむかのように、顔を綻ばせながら軽やかな音色を奏で続ける花音から七音は目を離すことができなかった。
このままずっと浸っていたい。
花音が奏でる音の世界と、陽だまりに溶け込むように美しい花音の姿に。
七音は目を閉じてじっと聴き入っていたが、ふっと音が止んだと思うと突然ガラッと扉が開かれた。
「七音くん!」
やわらかな声にパッと目を開いた七音は、にっこりと微笑む花音の顔が思ったよりも近くて慌てて後ずさった。
「あの、花音があまりにも気持ち良さそうに弾いてたから!」
目を閉じて聴き入ってしまったことが何だか恥ずかしくて、七音は思わず言い訳じみたことを言ってさらに恥ずかしくなった。
ふふふっと小さく笑う花音は、まるで陽だまりのような暖かな雰囲気を纏っていた。
花音がそこにいるだけでどんなに心がささくれだっていても、不思議と心が落ち着いていく。
入学して付き合いもまだ短いのに、七音にとって花音はもはや特別な存在になっていた。
それは可愛らしい容貌だけでも溢れんばかりの才能だけでもない、未来への希望の光、そして何よりピアノへの愛情と情熱を花音から感じられるからだった。
自分に欠けている『情熱』と『自分が欲する未来図』を手にしている、眩しい光に包まれた花音は七音の憧れでもあった。
「もうレッスン室に行ったのかと思った」
七音は椅子を引き寄せてピアノの前に座って言った。
「レッスンまであと30分あるから休憩してたの。
これから1時間半、みっちりしごかれるのよ」
眉をひそめて身震いする花音は、しかしとても楽しそうに見えた。
休憩と言いながらピアノに向き合うのだから、花音は心底ピアノが好きなんだろうなと微笑ましく思う反面、羨ましいような、少し複雑な気持ちにもなった七音だった。
「どうしたの?
音楽棟まで何か用だった?」
「あ、そうだ。
ーーこれ」
花音の言葉に七音は持っていたテキストと楽譜を差し出した。
「噴水脇のベンチに置きっぱなしになってたのを諒平が見つけてさ。
昼休み終わりそうだったからすぐに届けられなかったんだ、わりぃ」
「またベンチに置きっぱなしにしちゃったんだ。
これで何回目だろ」
受け取りながら花音は肩をすくめながら笑った。
「初めて七音くんに会ったのもこんな感じだったのよね」
入学してまだほんの数日、やっぱり噴水脇のベンチに置きっぱなしにされていた楽譜を届けた七音はその瞬間をずっと忘れないだろうと今も思う。
突然現れた美術科の生徒の、しかも中学時代には『爽やかイケメン』と呼ばれた七音の登場に、音楽科の生徒たちのきゃーという小さな歓声があちこちから飛び交った。
くすぐったいような、落ち着かない気持ちで探し出した花音の愛らしい姿を前に、七音は冗談抜きで妖精に出会ったと思った。
胸の高鳴りを悟られないように、わざとぶっきらぼうに差し出し出した楽譜をじっとみつめていた花音は、それこそ花がパアッと開いたような笑顔でありがとうと言った。
その笑顔があまりにも強烈に七音の心を貫いて、七音は半ば逃げるように音楽科の校舎を後にした。
その少女が御形学院高等学校創立以来、将来有望なピアニスト候補として最も期待されている瀬戸花音だと知ったのはそれからすぐのことだった。
あんなに可愛くてしかも才能がある女の子がいるんだと、七音は初めてといっていいくらいに胸を高鳴らせた。
そのときをきっかけとして花音と交流を深めるようになってから、その感情はさらに高まり深くなって今に至っている。
「おまえもたいがいぽやっとしてんのな。
凛音が聞いたらまた怒られるぞ」
「「『厳重注意よ!』」」
人差し指を上に向けて静かに言い放った声が見事に重なり、七音と花音は思わず顔を見合わせて笑った。
「凛音の『厳重注意』はマジで怖ぇ……」
「笑ってないもんね、目が……」
そう言った花音は何か思い出したように吹き出した。
「七音くん、私たちが凛音と初めて会ったときのこと、覚えてる?」
「忘れるわけねぇだろ?思い出しただけでも身震いするよ」
テキストを届けた縁で会えば少しずつ花音と話すようになってきた七音だったが、そんな二人の様子が打ち解け始めたクラスメイトたちの話題に上るようになっていた。
そんなときはポーカーフェイスを保つに限ると中学生の頃に学んだおかげで、さして冷やかされることもなく、寧ろ納得顔のクラスメイトたちに内心ドキドキしていた七音だったのだ。
そしてあの日がきた。
七音と花音、凛音が初めて揃ったあの日。
あのときもこうして花音と二人、音楽室で他愛もない話をしていたのだが、ガラッと扉が開いた途端目を吊り上げた生徒が飛び込んできて、
「ちょっと、何してるのよ!
早く離れなさい!
嫌がってるじゃない!」
驚いた七音が振り返ると、そこには顔を真っ赤にさせた凛音が仁王立ちで七音を睨みつけている。
「うわッ!
な、なんだよ!」
「七音くん、痛ッ!
ちょっと動かないで!」
「ほらッ、嫌がってるじゃない!
早く離れなさいってばッ!
もう!
あんた、厳重注意よ‼︎」
「はぁ⁉︎ちょ、ちょっと動かすなよ!」
「いったーーーい!動かさないでッ!」
花音の泣き声でハッと我に返ったのか、凛音が恐る恐る花音の方を見ると、あっと小さく声を上げた。
花音のふわふわの長い髪が窓際のカーテンタッセルフックになぜか絡んでしまい、七音が一生懸命解いている最中だったのだ。
花音の髪の毛はふわふわしたやわらかな質だから、窓から吹く風によくなびいて運悪く引っかかってしまったようだった。
七音が絡んだ髪の毛を解こうとする内に余計に絡んでしまい引っ張ったりするものだから、痛い痛いと言う花音の声を聞きつけた凛音はてっきり花音が乱暴でもされているかと思い、勢いよく飛び込んできたらしい。
「とにかく、この髪の毛なんとかしてーーー!」
それから七音と凛音が共に悪戦苦闘し、花音の髪の毛は切ることもなくようやくタッセルフックから解放されたのだった。
「ごめんなさい……。
音楽科室に用があって来たの。
そうしたらここから泣き声が聞こえてきたものだから、てっきり乱暴でもされてるのかと……」
「そんなことしねーよ!
オレは女子には特に優しーの!」
七音はあんなに激しく女子に怒鳴られたことがなかったので、その衝撃は思ったより凄まじく、胸の動悸がなかなか収まらないでいた。
「本当にごめんなさい!」
花音は泣きそうになっている凛音の手を優しく取ると、
「私が危ないと思って助けてくれたのよね。
ありがとう」
にっこりと微笑んだ花音の顔を凛音はじっとみつめ、そしてその手をキュッと握り返した。
「私、音楽科の瀬戸花音。
ほら、七音くんも自己紹介して」
「オレ、強姦か何かと勘違いされたんだけど」
謝られても何だか納得いかない七音だったが、花音からじっとみつめられて頼まれたら、もう抗う術がない。
「美術科造形クラス彫刻専攻の江藤七音。
ーーおまえは?」
このとき初めて凛音を見た七音は思わず息を飲んだ。
白い肌、涼しげな目元、艶やかなショートボブで、制服からすらりと伸びた長い手足。
クラスメイトたちが美術科にクールビューティーがいると色めき立って噂していたのはもしかして……。
「……美術科絵画クラス油絵専攻の阿久津凛音」
「今日こうして三人出会ったのは何かの縁だわ。
凛音、これからよろしくね!」
ほら、七音くんも!と軽く体当たりされて、七音もヤレヤレと苦笑いを浮かべながら、
「同じ美術科、三年間よろしくな。
凛音!」
花音と七音の笑顔にぶつかって、凛音はよろしくと小さく呟いて、初めてホッとしたように笑ったのだった。
「あのとき、マジで凛音に消されるかと思ったぜ」
「すごい迫力だったもんね。
凛音はクールに見えてけっこう激情家なんだから」
花音は面白そうにふふふっと笑う。
花音と凛音はタイプが正反対にもかかわらずウマが合うのか、科は違うけれど校内で一緒にいることが多い。
ただでさえそれぞれが人目を引くほどの容貌であるから、二人揃うと周囲は羨望の眼差しを送りほうっと息を漏らしながら遠巻きに眺めるのだった。
「そういえば、さっき花音が弾いてた曲ってさ」
「……これ?」
そう言って花音が流れるように弾き始めたのは、パッヘルベルの『カノン』。
誰もがどこかで一度は聞いたことがあるだろうこの『カノン』は、花音と同じ名前だけに七音が一番好きなクラシックの曲だ。
「私の名前の由来なの」
弾く手を止めないで花音は呟く。
穏やかな流れの中に荘厳な調べ。
まさに花音だと七音は思う。
「兄が名付けてくれたのよ」
そのとき花音の顔から一瞬だけ笑みが消えたのを七音は見逃さなかった。
ーー花音……?
が、それはほんの一瞬だけで、すぐに元のやわらかな表情でポロン……と最後の一音を弾き終えた。
「いけない!
もう時間だわ。
ありがとう、七音くん!
またあとでね!」
鞄とテキストを抱え大きく手を振りながらレッスン室に駆けて行く花音の後ろ姿を見送りながら、七音はしばらくその場に立ち尽くしていた。
美術室には数名ほどがデッサンを描いたりデザイン画を作成していたりと、自分の技術を少しでも向上させようと各々の時間を過ごしていた。
七音は放課後のこの美術室が好きではない。
ここに集う生徒たちは皆本気で世界で活躍できる画家や芸術家を目指し日々研鑽しており、その情熱とキラキラとした目の輝きが眩しくて七音は息が詰まりそうになる。
ならば放課後の居残りは強制でなく自由なのだから、諒平や他の生徒のように授業が終わったらすぐに帰ればいいだけのことだ。
しかし、それも七音はできないでいるのだ。
周りが夢や希望を持った才能豊かな生徒ばかりであるのは百も承知だ。
中途半端な自分をあえてその環境の中に置くことで、将来の青写真がかすかなりと見えるかもしれないと、猛勉強の末に合格を勝ち取ったのだ。
入学してまだ数ヶ月、焦ることはないと自分に言い聞かせていても、こうしていざ彼らを目の前にするとどうしても心が怯んでしまう七音なのだった。
「座らないの?」
ハッとして横を見るとスケッチブックを抱えたエプロン姿の凛音が、呆れたように七音をみつめて立っている。
「遅かったのね」
七音が入室して一度騒めいた美術室も、今は再び静けさに包まれていた。
「花音のとこに野暮用で行ってた」
「レッスンじゃなかったの?」
「レッスンの時間まであと30分あるからって、音楽室でピアノ弾いてた」
「花音らしいわね」
クスッと笑う凛音の気配を背中に感じながら、七音は戸棚から自分の作品をそっと取り出した。
数日前から取り掛かり始めた、『手』をモチーフにした彫刻。
エプロンを付け道具を並べ作品に刃を入れ始めると、それまで爽やかさ全開の優しげな七音の雰囲気はガラリと一変し、誰も寄せ付けないほど鬼気迫るものに変貌するのを七音自身まるで気がついていない。
そんな七音をしばらくみつめていた凛音もやがてキャンバスに向かうと、自分の世界へと没頭していくのだった。
初夏の爽やかな期間はあっという間に過ぎ、梅雨入り直前の風はこのところ湿り気を帯びてきた。
その証拠に駅まで歩く三人の額には、薄っすらと汗が光っている。
放課後帰る時間も方向も同じなので、ほぼ毎日のように一緒に帰る。
駅に向かう生徒たちの波の中で御形三重奏(トリオ)は圧巻の輝きを放っていて、生徒たちの羨望の眼差しを受けながらの登下校にも、最近になってようやく慣れてきた三人だった。
花音を真ん中に右に七音、左に凛音が並んで歩くようになったのはいつからだっただろう。
それが定位置になって、三人のときはいつも自然とこの並びになっていた。
「テキストと楽譜を七音くんが届けてくれたのよ」
なんで言うんだ?という七音のびっくりした表情に、しまったという風にそっぽを向いた花音だったが、
「また大事な楽譜を置き忘れたのね」
はあ、とため息をつく凛音の腕を取った花音は上目遣いに、
「気をつけるわ、凛音」
そう言われるとあまり小言めいたことを言うのも憚られて、凛音は厳重注意よと小さく呟いて笑った。
「テキストに楽譜も挟んであったんだぜ。
見つからなかったらどうしてたんだよ。
レッスンで困ったんじゃね?」
「その楽譜、今日のレッスンで使ったのよね」
あっけらかんと言ってふふふっと笑う花音に、七音と凛音は顔を見合わせて肩をすくめた。
「でも花音は楽譜を見なくても、全部暗譜しているんでしょう?」
凛音が言うのに花音はにっこりと微笑んだ。
日常生活ではぼんやりしていることが多い花音だが、ことピアノに関しては誰も寄せつけないほどの天才的才能を持っていることも、さらなる高みを目指して日々の努力を怠らないことを七音も凛音も知っている。
天才が努力するのだ。
この先、花音の才能はどこまで羽ばたいていくのだろう。
凛音はぽやっとしてよく笑う花音も、人が変わったようにストイックにピアノに向き合う花音も、友達という枠に入りきれないほど自分にとって特別な存在だということに気がついてしまった。
誰にでも向けられている花音という名前のようにふわっと花開くようなやわらかな笑顔が、自分だけに向けられたならどんなに嬉しいだろう。
そう思うようになってからというもの、花音が七音と二人で話しているところを目にすると、胸の奥にチリッと焦げるような痛みを感じるようになって、凛音はそんな自分に戸惑っていた。
学校では気がつけば花音の姿をつい探してしまい、音楽科と美術科では棟が違うから仕方ないと諦めてはいても、同じ教室でいつも花音の姿を目にしていたいと思うようになった。
ーー何だろう、この気持ち……。
これまで人を好きになったことがないとはいえ、恋愛感情にも似た感情を友達に、しかも同性に抱いているのだ。
自分がわからない。
凛音は日毎に大きくなっていく花音への想いを、一人心の中に閉じ込めるしかできないことにどうしようもない切なさが込み上げてくるのだった。
「凛音?」
「どした?」
いつの間にか立ち止まっていた凛音を花音と七音の心配そうな顔がみつめている。
「腹でも下した?」
いつもなら七音のデリカシーの無さにムッとする凛音だったが、今日はどこかホッとして救われた気持ちで駆け寄りながら、
「七音!
その一言、厳重注意よ!」
と、軽く睨みつけるのだった。
第一話 完
執筆への情熱が今日の雲のように湧き上がり、第一話を書き上げることができました✨
ついに出会った三つ星たちの物語。
最終話までお付き合いいただけたら嬉しいです
(●´ω`●)✨💕
最後まで読んでくださりありがとうございます(*´꒳`*)