1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分。
アメリカが投下した原子爆弾によっておよそ15万もの人々が死傷し、長崎の街が破壊の限り破壊され焦土と化したあの日から81年目を迎えた日曜日。
まーたるは原爆犠牲者慰霊祈念式典にテレビを通じて参列し、投下時間に黙祷を捧げました。
今長崎から遠く離れた北関東住まいだけど、原爆の日は特に強く平和への思いが募ります。
長崎に生まれ育ったまーたる、小さい頃から平和教育を受けてきました。
戦争の悲惨さ、核の惨さ、後遺症の恐ろしさ。
学生時代は9日は登校し体育館で原爆集会が行われ被爆者の方から話を伺ったり、平和を願い祈りながら歌を歌って犠牲になられた方々の御霊に思いを馳せました。
今核抑止についていろいろと取り沙汰されていますね。
自衛のために核を持った方がいいという意見。
核を持っていればそれをチラつかせて相手の動きを封じ込め戦争を回避する手段になる。
とんでもない‼️
2発も核爆弾を落とされて街は焼かれ破壊され、夥しい数の一般市民の命が犠牲になり、今もなお心身苦しみの中にいる方々がいるというこの日本が核保有だなんて、
ありえない‼️
ならばどうするっていうんだ❓
核廃絶、戦争反対って言ってるだけじゃ国は守れない、攻められたらおしまいだ❗️
どうやって国を守るっていうんだ⁉️
『対話』です。
武力ではなく、核ではなく『対話と行動』です。
核落とされた広島と長崎はずっと声を上げ続けています。
若い世代の人たちが海外へ赴き平和への願いを伝える行動をしています。
対話なんて甘い理想論だという人もいます。
でも夢物語を語っているんじゃない。
原爆がたしかに広島と長崎の街に落ちた現実を、失われた尊い命、破壊された街並みがある現実を、81年もの間苦しみ続けている人のある現実の声を上げ続けているんです。
仮に日本が核保有したとして、そこから核の負の連鎖はさらに広がってもう取り返しのつかないことになるでしょう。
今を生きる者たち、子どもや孫の未来に希望の光が見えなくなるでしょう。
対話が甘い理想論とか、非核三原則を見直しした方がいいんじゃないかとか、なんのための政治家か❗️
日本の政治家って日本のために、日本人のために最善を尽くしているんですか❓
なんだか自分たちさえ良ければ、甘い汁を啜られればそれでオッケーな感じにしか思えないんです。
日本だからこそできることがあるのにそれをやらないのは、政治家がもはや政治家ではないからなんだろうなと心の底から沸々と憤りが湧き上がるまーたるです。
皇室典範改正にしても消費税や社会保障制度にしても。
やってください、仕事、ちゃんと‼️
日本をおかしな方へ向かせてなるものかと、まーたる小さき声だけど上げ続けていきます❗️
世界中の人たちが心楽しく豊かな人生をそれぞれ全うするために大切なこと。
すべてのことに感謝しお互いを思いやる心。
自分も家族も大切な人たちみんなが生きていること。
衣食住があること。
働ける身体と場所と環境があること。
好きなことができる自由があること。
毎日は当たり前でなく、奇跡です。
感謝します。
ありがとうございます。
『街はなーーーんものうなっとって馬の黒焦げになっとった。
馬じゃなかごたるともあった、恐ろしかった』
瓦礫だらけの街を歩いたときのことをぽつりぽつりと話してくれた祖父。
『原爆の落ちて炸裂した瞬間、なんともいえん爆風のきてから近所で屋根ば修理しよったおじさんの飛ばされたとよ』
慌てて防空壕に逃げたと話してくれた母。
『戦争はしたらいかん。なーーーんもよかことなか』
子どもの頃に近所の肉屋のおばあちゃんが静かに言った言葉、絶対忘れないです。
原爆の犠牲になられたすべての御霊の安らかならんことを祈ります。
長崎を最後の被爆地に❗️
原爆の日に思うことを綴りました。


長崎まで続く空に平和の祈りを込めて。
読んでくださりありがとうございます。
















































































