まーたるショートストーリー第2弾ヽ(*´∀`)
楽しんで読んでいただけたら幸いです(●´ω`●)
『ミッドナイトカフェ・WHEEL of FORTUNEにようこそ』
episode 2 「カルーアミルク」
ーーなんだよ、なんだってんだよ!
泣き喚きたい気持ちを必死に押さえて、恭平はブランコを思い切り漕いでいた。
錆び付いたブランコの鎖が引きちぎれそうなほど大きく漕ぐと、紺碧の空に瞬く星たちが目の前に迫り、その雄大さに恭平は思わず怯みそうになる。
こんな夜になんだって星が綺麗なんだろうと忌々しく思いながら、ズザァァッと音をたてながらブランコは動きを止めた。
はあっと大きく息をついて項垂れる恭平の脳裏に、美桜のいたずらっぽい笑顔が浮かぶ。
ーー雅人と念願のデートが叶って嬉しいだろうな……。
キャンパスで見かけた美桜は、今まで見たこともないような優しい笑顔で雅人の隣を歩いていた。
もう手の届かない遠い場所に行ってしまった美桜なのに、恭平の美桜への想いは薄まるどころか、どんどん色濃くなってゆく。
「なんだよ、ほんとに……。
どうしたらいいんだよ……」
自分の弱々しい声に恭平は驚いてしまう。
自分が思うよりも深く、美桜を好きだったことに今更ながら驚いて少し笑った。
雅人は大学に来ると大概つるんでいる親友だ。
自分と違って豪快で男らしい雅人は、男女問わず慕われていて友人も多く、そんな人気者の雅人がなぜ自分と一緒につるんでいるのかさっぱりわからなかった。
しかし雅人に言わせれば、
「お前、癒し系とか言われて人気あるの、気づいてないの?」
「はぁ?癒し系?オレのどこが?」
「女子は穏やかで優しい恭平クンに癒されるらしいぜ」
「だったらなんで彼女ができないんだ?
なんかそれ、人畜無害って言われてるような気がするんだけど」
ぶすっとする恭平に笑いながら、雅人は缶コーヒーを放った。
「美桜からもらったけど、オレ、コーヒーあんまり好きじゃないからさ」
受け取った缶コーヒーを見て、あの小悪魔的な笑顔の下でどんなにかドキドキしながら雅人に渡したのだろうと、ちょっと美桜を不憫に思った。
大学の中でも美桜は目立つ存在だった。
容姿はもとよりコケテッシュというのだろうか、小悪魔的な可愛らしさが群を抜いている美桜を好きになる男子学生は多い。
思わせぶりな態度もごく自然に振る舞うものだから、美桜には女子からのやっかみもあまりない。
むしろ友人が多く、もし他の女子学生が美桜と同じように振る舞ったら、絶対に嫉妬の集中砲火を受けるだろうなと恭平は思った。
そんな美桜と一緒に遊ぶようになったのは、同じゼミを取ったのがきっかけだった。
「恭平くん、よろしくね」
そう言ってにっこり笑いながら隣の席に座った美桜に、恭平は思わず目を丸くした。
大学では有名になっていた美桜のことは当然知っていた恭平だったが、美桜が自分のことを知っているとは露とも思わなかったからである。
それ以来、キャンパスで美桜と一緒に過ごすことが多くなり、自然と雅人とも同じ時間を過ごすようになった美桜だった。
恭平の目から見ても、雅人と美桜はお似合いの二人だと思った。
美男美人というだけではない、なんとなく雰囲気が合っているのだ。
並ぶとそれがよくわかるほど、二人の雰囲気は自然と出来上がっていた。
しかし雅人がどことなく線を引いているように見えて、恭平は首を傾げた。
仲良くしているけれど、最終的に踏み込ませない雅人を美桜も感じているのか、三人でいるとなんとなく微妙な雰囲気になることが多くなっていた。
そんな中で美桜がやたら恭平をかまうようになって、恭平はさらに困惑した。
美桜が雅人を好きでいることは恭平にはわかっていた。
なのに雅人がいるところでわざと見せつけるように腕を取ったり、顔を近づけてみたり。
周りから見れば美桜が誰にでも向ける好意からの行動にすぎないが、恭平にはそれが雅人の気を引くための、美桜の必死な行動であることがわかっていた。
美桜が無意識に自分を利用していることも、胸の中でどんどん膨らんでいく美桜への恋が決して叶わないということも。
「君、ここで何してる?」
ふいに声をかけられ、恭平は近づいてくる懐中電灯の灯りの揺らめきに目を細めた。
「ブランコの音がうるさいと交番に通報があったんだ。
こんな夜に君はなんだってブランコに乗ってるんだ?」
警官は怪訝そうに恭平をみつめた。
生まれて初めての職務質問。
恭平はなんだか面白くなって、
「お巡りさん、オレ、今日彼女にフラれたんですよ」
唐突な恭平の言葉に、警官はまるで鳩が豆鉄砲をくらったような表情を浮かべ、それがさらに恭平の心を愉快にさせる。
「あんまりショックで、傷心の心を癒してたんです」
「ブランコに乗ってか?」
「傷心も飛んでいきそうな気がしません?」
まあ、ともごもごと何か呟きながら警官は一つ咳払いすると、
「まあ若い頃はいろいろあるからな。
それも一つの経験じゃないか?」
いろいろ、経験ね、と恭平は警官の言葉を胸の中で繰り返す。
「とにかく近所からうるさいと苦情がきてるから、今日のところはもう帰りなさい。
ブランコに乗りたかったら昼間に来るといい」
「ハイハイ、帰りまーす。
でも昼間には乗りませんよ、今度は子どもたちから苦情がきちゃいますからね」
もっともだと警官も笑い、早く帰れよという言葉を背中に受けて恭平は公園を出たのだった。
公園を出たもののこのまま帰りたくもなく、かといって誰かを呼び出して騒ぎたい気持ちでもない。
こんな日は一人で過ごすに限る。
自分の気持ちに区切りをつけるためにも、一人でゆっくり過ごしたい。
「あれ……?」
恭平の目にオレンジ色の看板がふいに飛び込んできた。
喫茶店のようだか時計を見るとすでに10時を回っている。
こんな遅くまで開いてるのかと近づいてみると、コーヒーカップの横にワイングラスの絵が描かれてあった。
バーなのかもしれないと恭平はそっとその木の扉を開けた。
暖かな灯りがやわらかな空間を作っている店内には誰もおらず、ヴァイオリンだろうかゆったりとした音色が流れていた。
恭平はなんとなくカウンター席に座り、オーナーにコーヒーを注文してポケットからスマホを取り出した。
美桜からのLINEは入っていない。
ーー当然か……。
雅人の気を引くために自分を利用していた美桜を嫌悪することはなかった。
美桜の気持ちを知りながら、恭平は美桜と一緒にいられる時間を心から嬉しく思っていたのだ。
こうしていることで、もしかしたら美桜の気持ちが雅人から自分に向かないか、ほんの少し淡い期待も持ちながらこれまできたけれど、恭平の心は日々美桜への想いに溢れて、自分でもどうしようもできないほどに膨らんできてしまった。
雅人がその場を離れ姿が見えなくなると、美桜はあからさまにガッカリした表情で、それまで恭平と組んでいた腕を解こうとしたが、恭平に急に腕を掴まれて思わずキャッと声を上げた。
「恭平くん……?」
びっくりしたように目を丸くする美桜がとても可愛くて、とても憎くもあった。
美桜は恭平が自分を好きだということを知っているのだ。
知りながらその気持ちを利用し、弄んでいるといってもいい。
けれど恭平はそれでも美桜のそばにいられたら、それでいいと心から思っていた。
想いが伝わらなくても、叶わなくてもいい。
そう想っていたのに……!
カラン、とドアが開く音がして、
「凛子さん!」
弾けるような声が飛び込んできて、思わず恭平は目を向けた。
その女性客は恭平の視線にぶつかって、ごめんなさいと小さく謝ってカウンターの中のオーナーに親しげに声をかけた。
恭平の前にコーヒーと小さな焼き菓子が乗った銀の皿が置かれ、ごゆっくり、とオーナーはふんわりとした笑みを浮かべて女性客の方に向かった。
普段なら絶対に入れないミルクと砂糖を入れたコーヒーを一口飲んでみると、それは驚くほど優しい甘さで、恭平のささくれた心に浸透し癒していくようであった。
焼き菓子はコーヒーの邪魔をしないほんのりとした甘さで、美桜が好きそうだなと思い、そう思ったことがなんだか急に淋しく感じられてきた。
ふうっと軽く息をつき、何の気もなしに前を見ると、ずらりと並んだ酒瓶の種類の多さに目を見張った。
嗜むくらいなら飲めもするが、雅人と違って恭平はあまりアルコールに強くない。
そんなところも男らしくなく見えて、急に自分が情けなく思えてきた。
棚の横には大切そうに額に入れられた不思議な絵があり、その車輪のような絵の色鮮やかさに思わず見入ってしまった。
「もう準備はできたの?」
オーナーの静かな声が恭平の耳に届いた。
「ええ、バッチリよ、凛子さん」
女性客は楽しそうにふふっと笑っている。
「凛子さんにアドバイスをもらったおかげで、とてもいい留学先が見つかって本当に感謝してます。
決めたからには一生懸命勉強して、必ず翻訳家になるわ」
「よかったわね。
ウィーンはとてもいいところよ。
音楽が街に溢れていて、本物の芸術に触れることができる街。
私も住んでいた頃は、よく教会での音楽会を聴きに行っていたわ」
懐かしそうにオーナーは言い、けれどその瞳がなんとなく悲しげにみえて、恭平は思わず耳をそばだてる。
「梨紗ちゃんもお休みの日に行ってみるといいわ」
「凛子さん、本当にありがとう。
私の運命の輪が回り出したのは、凛子さんのおかげよ」
「梨紗ちゃんが自分の力で回したからこそ、運命の輪は回り始めたのよ。
私は何もしていないわ」
「ううん、凛子さんのおかげなのよ」
相変わらず頑固ね、とオーナーは言い、二人は面白そうにクスクスと笑い合った。
コーヒーを飲みたいけどこれから友達に会いに行くと言う女性客は、留学前にまた来ますと明るく言い、弾むような足取りで出て行った。
閉まったドアをオーナーは幸せそうな微笑みを浮かべてしばらくみつめていたが、恭平の視線に気がついたのか、
「ごめんなさい、騒がしくしてしまって」
おかわりをいかが?と、恭平の空になったカップにコーヒーを注いだ。
「こちらはお代はいらないわ」
「……ありがとうございます。
じゃ、遠慮なく」
今度はいつものようにブラックで口に運ぶ。
香ばしいコーヒーの香りが口いっぱいに広がって、ああ、いつものオレだと、自分自身がようやく戻ってきたようなそんな気がした。
「凛子さん?」
恭平の言葉にオーナーは少しキョトンとしたが、すぐに笑顔になって、
「凛子というの。凛とした子」
「へぇ、名は体を表すって本当なんですね。
めちゃくちゃ『凛子』さんっぽい」
恭平の若々しい物言いに凛子は面白そうに笑った。
ショートヘアの黒髪がふわっと揺れ、そのたびに耳元に光る小さなピアスがキラキラと煌くのを、恭平はじっと見入っていた。
「オレ、好きな子にフラれたんですよね」
言ってしまってから恭平は、一体何だってオレは初めて会う人間にこんなことを話してるんだろうと後悔した。
凛子はちょっと目を見開いて恭平を見ている。
どうだっていい話を振られても困るだけだなと、すみませんと謝って席を立とうとすると、
「どんな子だったのか、よかったら聞かせて」
包み込むような優しい視線にぶつかり、立ちかけた恭平は再び腰を下ろす。
「小悪魔」
「小悪魔?」
「そう、小悪魔。
大学の同級生で、めちゃくちゃ可愛いんだ。
誰にでもフレンドリーで、明るくて、一緒にいると幸せな気持ちになるんだ。
でも……オレの親友を振り向かせるために、オレの気持ちを利用したんだよね。
わかってたけど、わかってたけどさ。
……それって残酷だよね」
あーあ、と天を仰ぐ恭平を凛子は口元に笑みを浮かべたままみつめている。
「あなたはそれでもよかったんでしょう?」
「最初はね。オレが入り込む余地はなかったし、それなら美桜の想いが叶うように協力してやるかって思ってた。
オレは美桜の好きなやつの親友だし。
……でもすごく苦しくなってきたんだ。
オレをみつめてるようで視線はいつもアイツを探してる。
オレに触れていても、その手はアイツに触れたがってる。
美桜の前にオレはいないんだ、いるのはいつもアイツだけで……。
凛子さんにはわからないよね、透明人間みたいなオレの気持ち」
「……わかるわ」
自虐的に笑った恭平の耳に、思いがけないほど低く静かな凛子の声が聞こえて、恭平は思わず凛子の顔を凝視した。
額の絵をみつめる凛子は何かを耐えているかのような切ない表情を浮かべていたが、ゆっくりと恭平を振り返り、
「彼女に自分の気持ちを伝えられたの?」
「見事に玉砕して自分の気持ちをどうしようもできなくて、公園のブランコを思い切り漕いでたら職質されたんだ。
人生初の職質」
あらまぁ、とため息を漏らしながらも凛子はクスクスと笑い、その屈託のない笑顔に恭平もつられて笑い出した。
「いい経験したわね。
なかなかできるものじゃないでしょ?」
あの警官も言ってたっけ。
ーー若い頃はいろいろあるからな。それも一つの経験じゃないか?
できればこんな経験はしたくないもんだなと恭平が思っていると、目の前にコーヒー牛乳が入ったグラスが差し出された。
「……コーヒー牛乳?」
「カルーアミルクよ。聞いたこと、あるかしら」
「飲み会とかで女子が飲んでるのよく見るよ。
ジュースみたいに甘いカクテルでしょ?」
「これはサービスよ。飲んでみて」
凛子に促され、甘いカクテルは好みじゃないんだけどと思いながら口にした恭平は、その意外な味に思わず目を丸くした。
居酒屋で飲むカルーアミルクとは違って、ピリリとしたアクセントが甘さの中に潜んでいることに驚いた。
「凛子さん、これ、本当にカルーアミルクなの?なんかオレが知ってるカルーアミルクとは違うんだけど……」
恭平の様子に凛子はふふふっとあどけない笑顔を浮かべている。
「カルーアミルクはコーヒー・リキュールのカルーアを牛乳で割るんだけれど、牛乳で割っているとしてもアルコール度数は決して低いものじゃないのよ。
口に入れればふんわりと軽い甘さを感じるけれど、そのあとでピリッとしたカルーアの潔さがやってくるの。
牛乳とカルーアの割合によって口当たりも変わってくるわ」
牛乳の甘さとカルーアの潔さが絶妙なそのカルーアミルクを、恭平は一滴も残さずに飲み干した。
まるで美桜みたいなカルーアミルクだと思った。
「あなたの好きな子を思い浮かべて作ってみたわ。
カルーアミルクって小悪魔みたいだと思わない?
甘くて飲みやすいからって飲み過ぎると、気がつけばその甘さに足を絡めとられて動けなくなってしまうのよ」
まるで心を見透かされたようなタイミング、美桜と重なるような悪戯っぽい凛子の笑顔、全てが絶妙すぎて恭平はあははっと声を上げて笑った。
「凛子さん、オレの心の中読んじゃって、エスパーなの?」
ひとしきり笑った恭平は空になったグラスをみつめた。
好きなんだと抱きしめた恭平の腕をそっと外した美桜は、いつものような笑顔ではなかった。
むしろ苦痛に歪んでさえ見えた。
「……ごめん、恭平くん。
知ってるんでしょう?
あたしが雅人を好きなのこと、知ってるんでしょう?
雅人の気を引きたくてあたしが恭平くんを利……」
「知ってるよ。全部わかってる。
美桜が雅人を好きなことも、雅人を振り向かせたくてオレと一緒にいることも、美桜がオレを好きにならないことも……」
「恭平くんのこと大好きよ!嘘じゃない!
でも、でも……ごめん、ごめんね……」
美桜が恭平の腕を掴む力強さは、その言葉が嘘でないことを物語っている。
でも恭平がほしいのはその言葉ではない。
言葉でなくていい、抱きしめ返してくれればそれでよかったのに……!
友達として好きだという美桜の気持ちに嘘がないことは恭平にもわかっている。
美桜の涙に恭平への懺悔の気持ちが込められていることも。
「バーーーカ!」
唐突な恭平の一言に美桜は思わず顔を上げた。
涙でグシャグシャになってても、完璧にフラれたけれど、やっぱり美桜が好きだという気持ちは変わらない。
ーーったく、世話焼かせんな!雅人!
「バーカ、こんなことに引っかかってんな、美桜!」
「恭平くん……?」
「世話が焼けるヤツ!
気を引かせるようなまわりくどいことしないで、好きなんだってそれだけ言ってくればいーんだよ!
雅人は直球勝負が好きなんだ。
なんてったってアイツ、高校球児でピッチャーだからな」
ニヤッと笑った恭平をしばらくみつめていた美桜は、華の溢れるような笑顔を見せた。
「……ありがとう。
ありがとう、恭平くん!」
軽やかに走り去る美桜の後ろ姿をみつめながら、恭平はキュッと唇を噛みしめる。
ーー雅人も美桜のことが好きなんだぞ……。
美桜が恭平に近づくたびに悲しそうな目をしていた雅人。
意地っ張りな雅人は、だが何も言わずにその場を離れてしまい、そのことが美桜をさらに焦らせるのだ。
想い合っている二人の間で、オレは一体何なんだ?
そう思うとなんだかムシャクシャしてしまい、夜の公園でブランコを思い切り漕ぐことになったのである。
空のグラスに額の中の絵がぼやけて映り、恭平は視線をゆっくりと絵に向けた。
鮮やかな車輪のような絵は不思議な迫力があり、下の方に作者の名前らしきアルファベットが流暢な字体で描かれてあった。
「この絵にあるRINKOって、凛子さんのこと?
……すごく不思議な絵だね」
「そう、私の名前よ」
「……Tって、凛子さんの恋人?」
左薬指に指輪をしている凛子だが、恭平にはなんとなく凛子が独身であるように思えていた。
他人のプライベートには興味もないが、凛子は人を惹きつける不思議な魅力があり、恭平は空気が読めない男子大学生感をわざと出して訊いてみた。
「……のようなものよ」
不躾な恭平の問いに黙るでもなく怒るでもなく、凛子はただ静かにそう言っただけだった。
「タロットカードの中にある『運命の輪』という絵がとても好きで、お願いして描いてもらったの」
「『運命の輪』?神秘的な感じがするね。
ここでこうして凛子さんに出会ったことも、この絵に出会ったことも運命なのかな」
恭平の言葉に凛子は頷いた。
「『運命の輪』は自分の力でないと前に進まないの。
他人では決して動かすことができないのよ。
誰もが必ず自分の中にこの輪を持っていて、動くタイミングはそれぞれに違うわ」
「さっきのお客さんも、『運命の輪』がどうとかって言ってたけど、このこと?」
凛子はややあって、あぁ、梨紗ちゃんと呟いた。
「彼女も自分の中の『運命の輪』を動かして、前に進み始めたわ。
自分の強い意思でね」
そう言って凛子は嬉しそうに微笑んだ。
目の前の『運命の輪』をみつめながら、恭平は美桜へ再び想いを馳せていた。
雅人と美桜。
自分にとってはかけがえのない二人。
美桜への想いを乗り越えていかなければ、大切な二人を失ってしまうことにもなる。
『運命の輪』を回すことで前に進んで行けるのならば、この大きな輪を絶対に回したいと恭平は思った。
「オレも動かせるかな、『運命の輪』」
ぽつりと呟く恭平に凛子は優しく微笑みかける。
「そこにあなたの意思があるのなら、動かせないはずはないわ」
大丈夫よ、と言う凛子の声が、恭平の背中を押してくれるように心強かった。
「そういえば名前言ってなかったよね」
コートを羽織りながら恭平が言い、そういえばと凛子も笑った。
「恭平です。ね、凛子さん、また来ていい?
それでさ、またカルーアミルク飲ませてよ」
「カルーアミルク?」
「そう。小悪魔みたいな可愛いカルーアミルク」
ほんのりやわらかに甘いくせに、ピリッとした潔さを潜ませる小悪魔なカクテル。
「そのうちカルーアミルクみたいな彼女を連れてくるからさ」
「ええ?また?」
愉快そうに笑う凛子に、
「オレ、小悪魔には弱いんだ」
じゃあまたね、凛子さん、と言って軽やかにドアを開けて出て行った恭平の後ろ姿を、凛子はどことなく羨ましい気持ちで見送った。
恭平と同じ年齢の頃に戻れたらどんなにいいだろうと凛子は思う。
「そうしたら逢えるのに」
指輪が光る細い指でTの文字を愛しそうになぞる凛子の瞳には、悲しみに満ちた光が揺れるばかりであった。
「でも、もう私の『運命の輪』は止まらないし、あなたの『運命の輪』は二度と動くことがないのね、透……」
ヴァイオリンの切ない音色が凛子を優しく包むように、その愛のメロディを静かに奏で始めたのだった。
完
最後まで読んでくださりありがとうございます(*´꒳`*)