まーたる、ショートストーリーを書いてみた第15弾ヽ(*´∀`)
お楽しみいただけたら幸いです(*´∀`*)
『ニライカナイの黄昏れ』
大海原をかきわけながら船は進み、船体に打ちつける波しぶきが太陽の光りでキラキラと弾む様が眩しい。
太陽の光りに輝く美しい海の景色を見ているのかいないのか、湊人は波しぶきが遊び弾むのをぼんやりとみつめていた。
10月に入ったばかり、海を渡る風はもう肌に冷たい。
湊人は隣の座席にいるはずのない葉子の姿を探している自分が可笑しくて、そして哀しくてふっと笑った。
「神様の島に行きたいの」
そう言って嬉しそうに笑っていた葉子。
あれほど楽しみにしていた旅行だったのに。
波が大きくうねり、風がびゅうっと湊人の頬を打つように吹きつける。
……いったいなぜ、僕はここに一人でいるんだろう。
抜けるように青い空がやけに哀しくて、湊人は深くため息をつく。
「ごめんなさい。
私、あなたとは結婚できないわ……」
葉子から突きつけられた突然の婚約破棄に、湊人の思考はあの日から止まってしまったままだ。
葉子とは付き合って三年になる。
仕事を通じて知り合い、葉子から告白されて付き合うようになった。
そして先頃プロポーズしてめでたく婚約したばかりなのだ。
お互いの両親への挨拶は済み、両家の顔合わせが迫る中で告げられた婚約破棄に、湊人は後日みっともなさすぎたと思うほど狼狽えてみせた。
「両家の顔合わせの前に、そうした方がいいと思って」
俯きながら葉子は両手をギュッと握りしめて囁いた。
「ごめんなさい……。
湊人には本当に悪いと思ってるわ」
「……理由は?」
自分の掠れた声に驚きつつ、冷静を保とうと湊人も両手を握りしめた。
「ちゃんとした理由を言ってくれないと、僕は納得いかないよ」
射抜くようにみつめる湊人の眼差しから逃れられないと思ったのか、葉子は唇をキュッと結び、そして意を決したようにゆっくりと口を開いた。
「人生を共に歩きたいと思う人が、湊人じゃなくなってしまったの」
葉子の言葉に湊人は息をのんだ。
クラッと眩暈がし、目の前が真っ暗になるとはこのことかと湊人は唾を飲み込むと、葉子は震える声で、
「航くんを責めないで」
「航……?」
大学時代の親友で卒業してからもしょっちゅう遊んでいる航。
葉子と付き合うようになってからは一緒に飲みに行ったり、キャンプに出かけたりもした。
結婚することになって一番喜んでくれたのは航だった。
「ちょっと待って。
なんで航が……」
まさか……。
まさか!
震える声はそのままに葉子は話し続けていたが、湊人の耳にはもう朧げにしか届かない。
街中で偶然出会ってお茶を飲んだこと。
仕事の取引先の近くで偶然出会って一緒にランチに出かけたこと。
偶然同じジムに通っていて、偶然同じ映画が好きで、偶然同じ恋心が芽生え始めていて……。
「……もう、いいよ」
込み上げてくる怒りを辛うじて抑え込み、何か言いかけた葉子を振り切るように店を出た湊人は足早に雑踏に紛れ込んだ。
週末で浮かれ立つ繁華街の騒めきが今の湊人には救いだった。
ーー偶然、ね。
計算尽くめの『偶然』に笑いが込み上げる。
どちらが先にそのラインを越えたのかはこの際どうでもよかった。
ただはっきりしていることは、愛する婚約者と親友を一度に失ったということだけだ。
それも、一番酷い結末で。
それから葉子と航から何度も電話やLINEの着信があったが、湊人は一切を拒否した。
話したくもないし顔も見たくない。
二人の存在を完全になかったものとするように、湊人は淡々と日々を送った。
それでも婚約破棄という事実は変わりなく、周囲に対して迅速に対応していかねばならない現実が湊人の前に立ちはだかった。
家族や会社、友人たちに婚約破棄を伝えると皆一様に驚き、そして湊人の心内を推し量り慰めもしてくれた。
両親の怒りは激しく宥めるのに一苦労だったがなんとか堪えてもらい、嵐のような時間が過ぎていった。
葉子との旅行のために取ってあった有給をどうしようかと悩んだが、この荒みきった日常から離れたい思いが強く、今こうして一人神の島へと向かう湊人であった。
神の島・久高島。
沖縄本島から約5キロ、琉球の始祖アマミキヨが降臨したといわれる神の島を知ったのは葉子の影響だった。
それ以来観光地というよりも昔ながらの琉球が色濃く残り、島全体が聖域のような神聖な島に湊人も惹かれるようになり、婚約したお祝いも兼ねて二人で訪れるはずだったのだ。
夏休みシーズンが終わったものの、それでも神の島への観光客の姿はちらほらと見られる。
船を降りた湊人は足が地に着いた瞬間、不思議なくらい胸が熱くなった。
憧れていた島へたどり着いた感動と、隣に葉子がいない現実に感情が複雑に揺れているせいなのか。
見上げれば青空に浮かぶ雲が白く光っているようにも見えて、あぁ、まさに神の島だと思うほど美しかった。
湊人は予約していた民宿に荷物を置くと、その足で島を探索することにした。
沖縄の古きよき時代が色褪せることなくそこここにある集落は静かで、自分の足音がやけに耳に響くような感じがした。
ーー神様の島におじゃましてるんだもんな……。
神妙な顔つきで歩きながら、湊人は優しく吹く風を心地よく受け止める。
途中レンタサイクルで自転車を借りる。
葉子と出会う前はこうして一人旅に出かけていた湊人だった。
ーーただあの頃に戻っただけだ、なんてことない。
強がりにも似た思いを胸に、湊人はレンタサイクルのペダルを思い切り踏み込んだ。
樹が生い茂った小道を下った湊人は自転車を降りて思わず息をのんだ。
目の前に広がるイシキ浜と呼ばれる浜からは、遠く水平線が金色に染まり始めて、この世とは思えない幻想的な美しさが目の前に迫っていた。
ザァン……ザァァン……。
寄せては返す波の音が優しく響き、いつしか湊人の頬に一筋の涙がこぼれ落ちていた。
ーーなんで泣いたりなんかするんだろう……。
センチメンタルなんて柄じゃないのに、もう吹っ切ったはずなのに。
もう葉子を愛してなんかいないはずなのに……。
砂浜に降りてゆくと人気はなく、ただ波の音だけが湊人を包み込んでいる。
裸足になって触れた砂はまるで流砂のように細かく、サラサラと足に心地よかった。
そっと波打ち際に足を浸すと波が足に優しく絡まるように打ち寄せてくる。
目の前には金色の水平線。
湊人は息をするのも忘れて、ただ前に広がる圧倒的な大自然に神の存在を感じずにはいられなかった。
「そのまま海に入って行くんじゃないわよね」
「うわっ!」
ふいに声をかけられた湊人は飛び上がらんばかりに驚いた。
振り向くとそこには白いシャツを着た少女が立っていた。
手には古ぼけたスケッチブックを抱えている。
「ここは遊泳禁止よ」
「知ってるよ」
驚きを隠そうと思わずぶっきら棒に言ってしまった湊人であるが、少女はお構いなしに話かけてくる。
「10月だし、たとえ遊泳禁止じゃなかったとしても泳がないよ」
「なんだかそのまま海の中へ行っちゃいそうな気がしたの」
少女の言葉に湊人は少しだけドキリとした。
命を断とうとは思わないにしても、この美しい海の中には苦しみも何もない世界が広がっているかもしれないと思った湊人だった。
「君は……?
観光客じゃないみたいだけど、この島に住んでるの?」
「天音」
「あまね?」
「私の名前」
見たところ高校生くらいだろうか。
髪の毛を頭上にくるくるっと束ねて、袖をまくり上げた白いシャツが眩しい天音という少女はにっこりと笑った。
「あなたの名前は?」
「湊人……」
「みなと?
海にぴったりの名前ね。
一人で来たの?」
「まあね」
砂浜に座った天音は湊人にも座るように目配せした。
訳の分からないまま天音の隣に腰を下ろした湊人は、そのとき初めてまじまじと天音の顔をみつめた。
肌が透き通るほどに白く、風になびく髪が夕陽に照らされて輝いている。
まるで女神アマミキヨを想像させるほど、気高い美しさの少女であった。
「どうしてここで佇んでいたの?」
「どうしてって……。
僕にもよくわからない」
傷心旅行なんだとは言いづらく、なんとなく言葉を濁す湊人に天音は微笑みながら、
「恋人と別れでもしたの?」
「ええ⁉︎」
言い当てられた驚きで目を丸くする湊人に、さらに声を上げて笑う天音を見て少しムッとして、
「そんなに笑うなよな。
こう見えてけっこう、かなり傷ついてるんだ」
「……ごめんなさい」
首をすくめて小声で謝る天音に、湊人はハッとして慌てて首を振る。
ーー相手はまだ少女なのに、僕は……!
「いや、こっちこそごめん。
図星だったからつい……!
……あぁ、言っちまった……」
湊人はガクッと項垂れて、そしてパッと顔を上げて笑った。
それを見た天音は一瞬キョトンとしたが、やがて湊人と一緒に声を上げて笑い出した。
「ほんとはさ、婚約者とここに来るはずだったんだ。
でも直前でふられちゃってさ。
柄にもなくセンチメンタルジャーニーってわけ」
情けないなと笑った湊人は、天音の包み込むような優しい眼差しにぶつかって思わず顔を水平線の方に向けた。
自分より歳下、しかも十代だろう天音に一瞬とはいえ鼓動を早くした自分を詰りたかった。
しかし見れば見るほど天音の美しさが気になって動揺してしまう自分を悟られまいと、湊人は葉子と航のこと、婚約破棄に至ったことまで話してしまった。
「僕は婚約者と親友をいっぺんに失ったんだ。
どうしてこうなったんだろうな……」
「彼女の中で、あなたは一番でなくなってしまったのね」
湊人はぽつりと呟く天音をぎょっとしてみつめてた。
「もう一番でなくなったんだから、別々の道を歩いてゆくのは仕方ないことよね」
もう諦めなさいと言うような天音を見て、湊人の心は不思議なくらい穏やかになっていた。
つい先ほどまで心の中に渦巻いていた葉子への未練や、航への憎しみの思いが嘘のように消え失せているのに湊人自身驚いていた。
海全体が金色に染まる中、沈みゆく夕陽をみつめて微動だにしない天音の神々しさに湊人は目を奪われていた。
十代にしては物の分別も話し方も落ち着いていて、もしかすると天音は自分がただ十代と思い込んでいるだけなのではないかと湊人は思った。
「君はこの島に住んでいるの?」
「そうよ。
ずっとここにいるわ」
「僕よりも歳下に見えるんだけど、いったい何歳なの?」
天音は湊人のその問いかけには答えず、ただふふっと笑いながら水平線を指差した。
「この水平線の先に何があるか知ってる?」
「水平線の先?」
夕暮れの浜はすでに空も海も金色に光り、本当に違う世界に来てしまったのではないかと思うほど幻想的で、美しいと同時にどこか空恐ろしくもあった。
「ニライカナイ」
「ニライカナイ?」
「そう。
神様がいらっしゃる理想郷よ。
神様はそこから人にたくさんの恩恵をくださるの。
人の魂はそこで生まれ、命が尽きると再びまた戻っていく。
この海の遠く遠く、はるか彼方にある神様の世界のことよ」
空は少しずつ薄い青に染まり始めていた。
神様のいるニライカナイという世界。
神様の島でこうして美しい水平線を見ていると、その世界は間違いなくあるのだと思わざるを得ないほど、今湊人が立つこの場所は神秘的であった。
「ニライカナイからこの波に乗って、神様の恩恵があなたにも訪れると思うわ」
「……また、前に進んでいけるかな」
葉子と航のいない世界。
湊人にとって何よりも大切だった二人は、もう自分の世界からいなくなってしまった。
突然の別れから今まで、湊人の毎日は砂を噛むように味気ないものだった。
こんな惨めで悲しい思いをするくらいなら、いっそ出会わなければよかったと何度唇を噛みしめたことだろう。
泣くもんか。
絶対に泣くもんか。
そう言い聞かせてここに来た。
葉子の好きなこの島へ来て綺麗さっぱり忘れてやろうと思ったのに、湊人の心から葉子は消えるどころかますます存在感を増してゆく。
どうしたらいいんだと湊人はほとんど泣きそうになって、ニライカナイのあるという水平線の彼方をみつめる。
「泣いたらいいわ」
天音の声が波の音に乗って、静かにそして鋭く湊人の心に突き刺さった。
「泣いて全部流してしまえばいいのよ。
今、ここで。
ニライカナイから神様は見ていてくださるわ」
天音の言葉が終わらない内に、湊人は堰を切ったように泣き、その声は次第に嗚咽に変わっていった。
葉子との出会い、二人で育んできた三年間がまるで波の泡のように蘇っては消えてゆく。
ーー好きだったんだ、愛してたんだ……!
葉子の笑顔が浮かんでは消え、浮かんでは消えて、そしてもう浮かんでこなくなったときーー。
湊人の心は波風一つない水面のように穏やかになっていた。
全てを包み込んでくれるような雄大な空と海、そして天音が教えてくれた神様がいるニライカナイという世界が、湊人をどす黒い怨嗟の世界から救ってくれたのだった。
ひとしきり泣いた後、湊人がふと顔を上げるとそこにはもう天音の姿はなく、空は薄闇に包まれようとしていた。
「天音……?」
辺りを見回しても天音の姿はどこにもない。
「天音!天音!」
ーーお礼、言ってないじゃないか……。
……ザァン……ザザァン……。
波の音が湊人に語りかけるように優しく打ち寄せる。
夕陽が沈んでニライカナイのある水平線の彼方も見えなくなった。
ーー天音、もしかしたら君はニライカナイから……。
自転車の方に歩き出した湊人はふと足を止め、海の彼方を振り返る。
ーーそうなんだね、きっと。
ニライカナイからの神様の恩恵を湊人はたしかに受け取ったのだと思った。
来るときにあんなに重かったペダルが嘘のように軽い。
島を出る前に島の住人から天音という少女はここにはいないと聞いても、湊人は驚かなかった。
不思議なあの出会いこそが神様が湊人に与えてくださった恩恵なのだ。
空も海も全てが金色に輝いたあのとき、ニライカナイから波に乗って現れた天音という恩恵。
ゆっくりと船は岸壁を離れ、少しずつ神の島が遠くなってゆく。
ーー戻ろう、日常へ。
戻って自分の道をまた歩いて行こう。
湊人はふと島の小高い岩を見上げて思わず目を見張った。
「天音……?」
遠目に白いシャツを着て佇む人影が見えた気がしたのだ。
確かめる間もなく、船はどんどん島から遠ざかってゆく。
椅子の背もたれにもたれ掛かり、顔を天井に向けて湊人は息をついて少し笑って呟いた。
「ありがとう。
ずっと、忘れないよ」
岩場の上でやわらかな笑顔を見せる天音の姿を思い浮かべながら。
船は波しぶきと戯れながら大海原をかき分けて進んでゆく。
完
最後まで読んでくださりありがとうございます(*´꒳`*)