まーたる日記

米津さんLOVE❤️のブログ初心者です(^з^)-☆見た目問題当事者の視点から「見た目問題」について綴るとともに、まったり日常で思うことを書いていきます(*´꒳`*)よろしくお願いします(*´∀`)♪

まーたる、長崎の空に想いを馳せて🔔🕊🌈✨

こんにちは(о´∀`о)

 

今日、8月9日は長崎原爆の日です。

 

まーたるの故郷長崎に原子爆弾が投下されてから、今年で77年目の夏を迎えました。

 

私の母は原爆が落ちたとき4歳でした。

 

実家のある町は爆心地から反対方向にあり、距離も離れているので直接的な被害を受けずにすみました。

 

それでもその瞬間にはものすごい爆風が吹いて、屋根に上がって修理していた近所のおじさんが吹き飛ばされてしまい、みんな慌てて竹やぶの中の防空壕に逃げ込んだといいます。

 

その後祖父は爆心地に近い浦上の方へ仕事仲間を探しに行ったそうですが、街は瓦礫で跡形もなく、真っ黒になった馬が横たわっていたり、目を背けずにはいられない光景が目の前にあったそうです。

 

父の実家のある町は山の陰にあり、山が閃光や爆風から守ってくれたと話していたそうです。

 

両親ともに被爆者なので、私は被爆2世です。

 

広島の子どもたちも同じかと思いますが、長崎の子どもたちは8月9日の原爆の日は各々の学校で原爆集会があります。

(まーたるが長崎にいた頃からずいぶん経っているので現在はどうなのかわかりませんが、多分変わらずに行われているのだと思います)

 

原子爆弾が投下された時刻、午前11時2分にはみんなで黙祷して犠牲者の方々の冥福を祈り世界平和を願います。

 

戦争、核爆弾の恐ろしさと愚かさ、平和がどれだけ尊いのかの話を聞き、もう二度とこの惨劇を繰り返してはいけない、長崎で最後にしなければと思いながら原爆の歌を歌い、犠牲になられた方々の御霊に想いを馳せた学生時代であります。

 

まーたる今日は仕事で入浴介助中だったのですが、ホールにあるテレビからは長崎原爆祈念式典が流れており、原爆投下時間にはテレビから長崎の鐘の音が聞こえて黙祷することができました。

 

故郷を離れてどこに住んでいても、長崎に生まれ育った者にとって今日という日は決して忘れることのできない祈りの日。

 

帰宅してスマホの映像で今日の平和祈念式典を見ました。

 

光る青空の下で瞳を閉じた平和祈念像が、犠牲になられた方々の御霊を想い、平和を想い、静かにそこに在りました。

 

長崎市長をはじめとする方々の平和への祈りと誓いの言葉は私の心に深く刺さり、とても深く響きました。

 

『戦争は悲しみと憎しみを生み、人々の心と身体に消えることのない傷跡を残すもの』

 

『長崎を最後の被爆地にするんだ』

 

『平和への祈りと誓いの言葉を上げ続け、行動していくんだ』

 

そんな長崎の魂の声が聞こえたまーたるです。

 

被爆者の平均年齢も84歳と、原爆の悲惨さを語る方々も高齢化しておられます。

 

でも今、若い人たちがその想いを引き継ごうと懸命に行動し平和を願う声を上げています。

 

高校生平和大使の皆さんがスローガンとされている、

 

『微力だけど無力ではない』

 

一人一人の声は小さくても、大きな力でないとしても、その声は決してゼロじゃない。

 

寧ろその声が集まれば大きな力となり、日本を、世界を、相手を認め合い思いやれるあたたかさで満たしていけるのだと信じています。

 

まーたるも若い人たちの溢れる平和への想いに力をいただき、共に平和への声を上げていきます。

 

家族や周りの方々にお話したり、このブログでもこうして書かせていただくことで、私の声は本当に微かでそれこそ微力だけれど。

 

少なくとも話を聞いてくださる方、ブログを見てくださる方の心には、戦争で亡くなられた方々の御霊、今なお苦しんでおられる方々、平和な未来を望み今を生きている方々の声が届くと信じます❗️

 

私は世界中の人たちが大切な人たちと笑い合い、時々はケンカしながらもお互いを認め合い思いやりながら、あたたかい布団で寝起きし、ごはんをお腹いっぱい食べて学校や仕事へ行き、自分の夢を力いっぱい追いかけていける、そんな幸せな世界を望みます。

 

自分らしく、人間らしく生きていける、そんな幸せに満ちたあたたかな世界を心から望みます。

 

 

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長崎へ続く空✨

 

あの日の空にも、こんなキラキラした光が溢れていたのかな。

 

ただ望むのは、みんな一緒に笑顔で暮らせる世界です✨🌈

 

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございます

(*´꒳`*)