まーたる日記

米津さんLOVE❤️のブログ初心者です(^з^)-☆見た目問題当事者の視点から「見た目問題」について綴るとともに、まったり日常で思うことを書いていきます(*´꒳`*)よろしくお願いします(*´∀`)♪

まーたる、ショートストーリーを書いてみた⑲

まーたる、ショートストーリーを書いてみた第19弾ヽ(*´∀`)

 

お楽しみいただけたら幸いです(*´∇`*)

 

 

 

             

                  「暁風の更紗」

 

 

 

 ようやく凪いできた。

 

 グレイスはほっと息をついて甲板に出て、金色に染まり始めた水平線を眺めた。

 

 ようやく落ち着いてきた波の様子に安堵の表情を浮かべている楽団員たちを振り返りながら、グレイスはひんやりと吹き始めた風から身を守るように、鮮やかな青色の布で身体を包み込んだ。

 

 捨てられていたグレイスの小さな身体をすっぽりと包んでいた複雑な金糸模様が美しいその青い布は、グレイスにとって母親との繋がりを感じる唯一のものであった。

 

 少しずつ白み始めた空は澄み、昇りゆく朝陽の輝きがグレイスを包む豪奢な青を神々しく照らしている。

 

 明るい茶色の髪がグレイスの白い肌にはらりとかかり、切長の瞳は青みがかった不思議な色をしている。

 

 グレイスは自分がどこの国で生まれたのかわからない。

 

 両親の顔すらわからないのだ。

 

 東南アジアのとある小さな国の市場の隅に佇んでいたのを、楽団の長が拾って踊り子として育ててくれたということしか知らなかった。

 

 ほんの小さな子どもであったのに泣くこともせず、ただその瞳に宿る強い光になぜか惹かれたのだと長は言った。

 

 不思議と目を奪われた美しい少女との出会いはまさに神の恩寵だと感じ、「グレイス」と名付けたのだと。

 

 

ーーお前は人を惹きつける不思議な魅力がある。

 

 

 長が言うとおり、グレイスの類い稀な美貌はどこへ行っても注目の的であった。

 

 異国情緒溢れる風貌に加えて、グレイスの歌声と踊りは人々を魅了してやまなかった。

 

 行く先々でグレイスを妻に迎えたいという者は後を絶たない。

 

 その小さな楽団はグレイスで持っているようなものだったから、どんな大金を積まれようと長や楽団員たちがグレイスを手放すはずはなく、グレイス自身にも楽団から出ようという気持ちはさらさらなかった。

 

 孤児だった自分を拾ってくれ芸を教えてもらい、人前に出ても恥ずかしくないようにと数々の言語や優雅な振る舞いを教えてもらい、いっぱしの踊り子に育ててもらった恩もある。

 

 しかしこうして次の目的地に向かう船から短期間とはいえ、つい先ほどまで暮らしていた土地を振り返って見ると、根無草のような自分の人生が途端に頼りなげなものに感じてしまう。

 

 望まれて妻になり子をもうけ、その土地で生きその土地の土に還る。

 

 当たり前のようにその土地で暮らしてゆけるなら、どんなにか心穏やかに生きていけるだろう。

 

 グレイスは安心感に包まれたかった。

 

 旅から旅の不安定な生活ではなく、こここそが私が住まう場所だという安心感が欲しかったのだ。

 

 もうどこへも行かなくてもいいのだという心の拠り所が。

 

 

 

 すっかり空が明るくなった頃にはもう後ろにあった土地は見えなくなっていて、目の前にはただ大海原が広がっているだけであった。

 

 

「グレイス、喉が渇かないか?」

 

 

 楽団員の身の回りの世話係として旅に帯同しているサリヤが甲板に顔を出した。

 

 銀髪が美しいサリヤは長の妹で若い頃は評判の踊り子だったというだけあって、初老に差し掛かる今でもその美貌は健在だ。

 

 足を痛めてしまってからは踊ることができなくなり、それ以来裏方の仕事を一手に引き受けているサリヤは明るくサバサバとした性格で楽団員からの信頼も厚かった。

 

 

「いえ、大丈夫」

 

 

 言葉少なに振り返るグレイスをサリヤは眩しそうにみつめた。

 

 その瞳にはグレイスへの愛情が溢れんばかりに揺らめいている。

 

 

「ねぇ、サリヤ。

 

今度行くところはどんなところ?」

 

 

「ジャパンという東の国さ」

 

 

「ジャパン?どんな国なの?」

 

 

「長の古くからの友人が牧師として住んでいるヨコハマという街らしい。

 

友人からの手紙では東の国とはいえ近代化の進んだいい国だということだけれど、私たちも初めて訪れる国だからね。

 

港に友人が出迎えてくれる手筈になっているから、おまえは安心していつも通りに振舞っておくれ」

 

 

 旅から旅への生活でグレイスは出会う人の瞳の色、髪の毛の色、肌の色が違い、言葉も違うことを目の当たりにして、世界はこんなに広いのだと知った。

 

 しかし出会った人々は誰もがみな温かく、表面上の違いはあっても人はみな同じなのだと思った。

 

 太陽が昇る東の国。

 

 ジャパンはいったいどんな国なのだろう。

 

 これからどんな人々と出会うのか。

 

 昇る太陽が明るく波を照らし、船はまだ見ぬ東の国へと軽やかに進んでゆく。

 

 

 

 グレイスたち楽団の一行が滞在中の宿場として与えられたのは、ヨコハマの港に近い屋敷であった。

 

 旅の楽団が寝泊まりするには豪華すぎるほど立派な邸宅は、長を始めとする楽団員全員が恐縮してしまうほど広かった。

 

 

「宝井男爵の御子息がぜひこちらを使ってくれと仰せでね」

 

 

 長の古くからの友人で、ヨコハマの教会で牧師として布教活動をしているマークスも驚いているようだった。

 

 三日後に宝井男爵家で行われるパーティーに来てほしいというメッセージが入った封筒を長は受け取った。

 

 ちらりと横目で見ると英語だろうか、達筆な文字が流れるように書かれてある。

 

 やがてグレイスが通された部屋は一人で使うには十分に広く、真紅のカヴァーが掛けられてあるベッドに腰を下ろすと、ふんわりとしたシーツの肌触りがなんとも心地良かった。

 

 どこの国に行ってもグレイスは一人で部屋を使っていいことになっている。

 

 それは楽団を支える踊り子であり歌姫であるグレイスへの、楽団員全員の敬意と愛情の現れであった。

 

 荷物を軽く整理したグレイスは窓を開けると、そこから見える景色に目を細めた。

 

 人々の活気が溢れる港街は賑やかで、この街に住まう人々の日常が鮮やかに繰り広げられている。

 

 グレイスが密かに望むものを当たり前のように手にしている人々の姿は、眩しくもあり羨ましくもあった。

 

 ここに暮すことが当たり前の人々と、少しの間滞在してはまだ新たな土地へ行かねばならない渡鳥のような自分を比べては、深いため息をこぼさずにはいられないグレイスなのであった。

 

 その日の夕食をとったあと、豪華なシャンデリアの煌めく広間で皆で寛いでいると、玄関先が俄に騒がしくなった。

 

 楽団員が皆で何事かと伺っていると、マークスがあたふたと入ってきて、

 

 

「みんな、宝井男爵家の御子息がおみえだ」

 

 

 マークスの後ろにひっそりと佇んでいる長身の男は、グレイスをみつめると静かに微笑んだ。

 

 異国からきた小さな楽団にほんの気まぐれを見せつけたいけすかない貴族の息子を想像していたグレイスは、今まで見てきた貴族や有力者たちの傲慢な雰囲気とはかけ離れている男を目の前に、その穏やかな風貌に思わず目を奪われてしまった。

 

 

「宝井董哉です。

 

ようこそ日本へ」

 

 

 微笑みを浮かべたまま流暢な英語で挨拶をする董哉に、楽団員は顔を見合わせて軽くどよめいた。

 

 近代化が進んでいるとはいえ発展途上の東の国に、こんな流暢な英語を使いこなす青年がいようとは皆思ってもみないことであった。

 

 容姿端麗に加えて董哉の洗練された優雅な身のこなしに、女たちはもとより男たちも目が釘付けになった。

 

 

「明後日に本邸で私の父である宝井男爵の誕生を祝うパーティーがあります。

 

こちらの楽団の評判はマークス神父からよく伺っていて、いつかお招きしたいと思っておりました。

 

素敵な歌姫の美しい歌声をぜひお聴きしたくて」

 

 

 董哉がグレイスを振り返り、二人の視線がゆっくりと絡み合う。

 

 時が止まるとはまさにこのことなのだろうか。

 

 グレイスは董哉の瞳の中に、あの朝船から見た穏やかな波のように優しい光が揺蕩うのを感じた。

 

 

 

「あなたが、グレイス?」

 

 

 

「そうよ。

 

はじめまして、トウヤ」

 

 

 

「あなたの歌声はまるで天使のようだとマークス神父が仰っていました。

 

願わくば私は棺に入るとき、あなたの歌声に包まれて神の御許に参りたいと思っているのです」

 

 

 異国の楽団員に対しての挨拶にしてはそぐわない董哉の言葉にら多少の違和感を感じてマークスをちらりと見ると、マークスはどこか憐れみを持って董哉をみつめている。

 

 しんとしてしまった空気を察したのか、董哉は明るい声音で、

 

 

「来日されたばかりでさぞお疲れでしょう。

 

こちらにおられる間はどうぞお寛ぎください。

 

何か入り用なものがありましたら遠慮なく仰っていただければすぐにお届けします」

 

 

 

 では明後日にと言い、董哉は来たとき同様静かに部屋を出て行った。

 

 そのあとの居間では当然のように董哉の話で持ち切りであった。

 

 切れ長の瞳がいかにも東洋の男らしく端正で、紳士的な振る舞いと流暢な英語を使いこなす貴族の息子とあれば、女たちの心を掴んで離さないのも頷ける。

 

 そんな賑やかな輪からそっと抜け出したグレイスは、居間に戻ってきたマークスにそっと近づいた。

 

 

「トウヤは変わった人ね。

 

あの人、神の御許に行きたいと言ったわ。

 

神の御許にゆくのにはまだ若すぎるのに、ずいぶん思い詰めた物言いをなさる方ね」

 

 

「トウヤさまはご病気だ」

 

 

「病気?」

 

 

 グレイスは眉をひそめて言った。

 

 たしかに董哉はほっそりとしていたが、目に見えて体調が悪そうには見えなかった。

 

 むしろ紅潮した頬のせいか顔色も良く、青年貴族の優雅さと相まってグレイスの目には凛々しく見えたのだった。

 

 

「胸の病を患っておられるのだ。

 

いずれは宝井男爵家をお継ぎになる御身だから、御父上の宝井男爵もそれは気を揉まれていてね。

 

御子息には無理をさせぬようにしておられるのだよ」

 

 

「トウヤの英語は素晴らしかったわ。

 

あれほど流暢に話せるなんて」

 

 

 驚くように肩をすくめたグレイスにマークスは少し誇らしそうに、

 

 

「トウヤさまはご病気になる前に留学されていたんだ。

 

外国の異文化に触れて猛勉強なさっておられたよ。

 

私もよく教えを請われ、一時期は毎日のように男爵家へ通ったものだ」

 

 

 それからグレイスは董哉がどれほどの人格者であるか、自分がどうして董哉と出会ったのかなどをマークスから散々聞かされることになるのだが、その間中董哉の瞳に揺蕩っていたどこか儚げな光が脳裏にちらついて離れなかった。

 

 

 

 ドレスアップした人々の笑いさざめく声が賑やかに響く大広間は、シャンデリアの輝きでさらに煌びやかな空間であった。

 

 グレイスたち楽団員も衣装を整え、控えの間でそのときを待っている。

 

 宝井男爵家の本宅はさすがは華族というだけに、広大な敷地に豪華な屋敷が建てられている。

 

 やがて大広間が一瞬のざわめきを見せたかと思うと、大きな拍手が鳴り響いた。

 

 主役の宝井男爵が姿を見せたらしい。

 

 時折り笑い声が上がり、そして再び拍手が沸き起こった。

 

 

 

「グレイス」

 

 

 

 長が手招きし、サリヤがいつものように素早く衣装の最終チェックを行う。

 

 今夜はシルクロードをゆくキャラバンをイメージした、エメラルド色に金の刺繍が美しく輝く衣装だ。

 

 薄い茶色の髪は緩やかに流れ、エメラルドグリーンの衣装がグレイスの透けるような白い肌をさらにきめ細やかに見せている。

 

 

 

「今夜も綺麗だ」

 

 

 目を細めながら呟くサリヤの瞳には、かつて踊り子として輝いていた若き日のことが蘇っているのだろうかとグレイスは思い、サリヤを抱きしめると開かれた扉の向こうへと吸い込まれていった。

 

 

 今夜のパーティーも大成功だった。

 

 グレイスの妖艶な踊りに人々は目を奪われ、そうだと思えば天使のように澄んだ歌声にうっとりと聴き惚れていた。

 

 宝井男爵もことの他喜び、楽団を招待したマークス神父もホッとしたように笑顔を見せている。

 

 出番を終えた楽団員は宝井男爵の好意でそのまま大広間でパーティーに参加することになり、豪華な食事や酒を楽しんだり参加している人々との触れ合いを楽しんだり、思い思いにパーティーを楽しんでいるようだった。

 

 

 

「グレイス、今夜は素晴らしいひと時をありがとう」

 

 

 

 グラスを手に現れた董哉は先日会ったときとは打って変わり、少し長めの髪を後ろに流し、華族らしく着こなしている燕尾服が憎らしいほどよく似合っていた。

 

 

「父もとても喜んでいたよ。

 

異国文化に触れることがほとんどないからね。

 

いつも私のことを外国かぶれだというけれど、少しはその気持ちをわかってくれるとありがたいのだけれどね」

 

 

 面白そうに笑う董哉を何人もの女たちが遠巻きに囲んでいるのを、グレイスは肩をすくめながら見やった。

 

 男爵家の跡を継ぐ美しい貴公子を狙う女たちは、董哉と親しげに話すグレイスに羨望と嫉妬の眼差しを控えめに、しかし強い意思でもって投げかけてくる。

 

 

「先ほど男爵様からお褒めのお言葉をいただきました。

 

喜んでいただけて私たちもとても嬉しいわ」

 

 

 では失礼と会釈してその場を去ろうとすると、董哉がグレイスの手を取った。

 

 まあっ、という小さな悲鳴があちこちで上がるのも構わずに、董哉はにこやかにグレイスに話しかける。

 

 

 

「私はあなたのことをもっと知りたいのです。

 

少しお話ししても構いませんか?」

 

 

 

「あなたを待っておられる方々がたくさんいらっしゃいますわ。

 

そちらの皆さまのお相手をなさった方がよいのではありませんか?」

 

 

 

 華美に気飾った名家の令嬢たちがあからさまな嫉妬をもはや隠すことなく、グレイスに氷のような冷たい視線を向けているのを董哉はチラリと見やった。

 

 すると中でもひときわ美しい令嬢がゆっくりと近づいてきたかと思うと、繋がれていた董哉とグレイスの手をそっと離した。

 

 

「董哉様、男爵家の御子息ともあられるお方が、このような公の場で下賤の者をお相手になさってはいけませんわ」

 

 

「……鞠子」

 

 

 鞠子と呼ばれた令嬢は微笑みを絶やさぬままグレイスを振り返り、

 

 

 

「とても素晴らしい踊りと歌声でしたわ。

 

でも、もうあなたの出番はおしまい」

 

 

 

 わかるでしょう?と言わんばかりに冷ややかな視線を投げかける。

 

 諸国を回るとそのたびにこういった嫉妬めいた揉め事が起こるので、それなりに場数を踏んできたグレイスは特段慌てることもなく一礼してその場を去ろうとした。

 

 

 

「グレイスは宝井男爵家が正式に招いた客人だ。

 

下賤の者とは無礼な言い方ではないか」

 

 

 

 董哉の静かだが鋭い口調に鞠子は目を見開き一瞬息を飲んだ。

 

 再び手を取られたグレイスも、その力強さに驚いて目を見張った。

 

 

 

「私はグレイスに話があるんだ。

 

申し訳ないが私はこれで失礼する。

 

皆さんはどうぞパーティーをお楽しみください」

 

 

 董哉は呆気にとられた令嬢たちへにこやかにそう告げると、グレイスの手を取り大広間を出て行った。

 

 董哉は人払いをしグレイスをある一室へと招いた。

 

 奥まったその一室は董哉の自室らしい。

 

 

 

「先ほどは鞠子が失礼なことを言ってすまなかったね」

 

 

 

 董哉は少し目を伏せながらグレイスに詫びた。

 

 

「鞠子は幼なじみでね、昔から辛辣な物言いをするんだ。

 

でも根は優しいところもあるから許してやってほしい」

 

 

 真っ直ぐに向けられる董哉の眼差しを受けながら、グレイスはにっこりと微笑みながら頷いた。

 

 自分が踊り子であることを卑下することはなく、むしろ誇りにさえ思うグレイスなのだ。

 

 それでも世間から向けられる視線は卑しい者へのものであり、だからといってそんなことは気にも留めないし慣れてもいるとはしかし言わずにいた。

 

 董哉が自分や楽団員たちを決して卑しい者として見ていないことが、グレイスの心に確信のように芽生えているからであった。

 

 しかし重厚な扉が開くと置かれてある豪華なベッドがグレイスの目に飛び込んできて、一瞬身体に雷が落ちたように動かなくなってしまった。

 

 踊り子であるグレイスは貴族や有力者たちから望まれると夜を共にすることがあり、それは当たり前のことだと思っていた。

 

 そのことが楽団のためになることは明らかであったし、その間のグレイスは心を無にすることで時間をやり過ごすことができていた。

 

 何とも想ってもいない相手なのだ、心が痛むわけはない、これは仕事の一環なのだと思えば苦痛を感じることはなかった。

 

 しかし今夜だけはなぜか心が痛んだ。

 

 董哉が今まで出会ったことのないような、純粋な心の持ち主のような気がしていたからか。

 

 今まで出会った者のような欲にまみれた人間ではないという確信が、脆くも崩れてしまった悲しみからなのか。

 

 グレイスは一つ大きく息をつくと、諦めたように身体を覆っていた青い布をはらりと取った。

 

 悲しい日も喜びの日も、グレイスを包んでくれるあたたかな母のぬくもりに満ちた青の更紗。

 

 

ーー所詮、人とはそんなもの。

 

 

 何を淡い期待をしていたのかと、自分の甘さを嘲笑いたくなった。

 

 

 

「グレイス、こちらへ」

 

 

 

 振り返ると董哉はベッドではなく、さらに奥に続く扉を開いていた。

 

 訝しがりながらグレイスが扉の奥に足を踏み入れると、ふわっと絵の具の匂いに包まれた。

 

 見ると部屋のそこここに大小のキャンバスが置かれてあり、色鮮やかな世界が部屋中に広がっていた。

 

 

「これは……」

 

 

 夜の相手をするものだと思っていたグレイスは、予想外の展開に呆気に取られて董哉をみつめた。

 

 

 

「ここは私の秘密の部屋でね、父も入ったことはないんだ」

 

 

 

はにかみながら董哉はグレイスに椅子をすすめた。

 

 

 

「全部あなたが描いたの?」

 

 

 

 キャンバスに描かれた絵はどれも素人が描いたとは思えないほど精巧に描かれており、グレイスは思わず見入ってしまった。

 

 

 

「私はね、画家になるのが夢なんだ」

 

 

 

 董哉はどこか遠い目のままに呟いた。

 

 

 

「私はあなたが羨ましい」

 

 

 

 唐突にそう言った董哉にグレイスは驚いた。

 

 母国に住み、家族がいて地位も名誉もある貴公子の董哉。

 

 安住の地を当たり前に得ている幸せの中にいて、グレイスが求めてやまないものをすべて持っている董哉。

 

 

 

「羨ましい?私が?」

 

 

 

 グレイスは素っ頓狂な声をあげて声高らかに笑った。

 

 

 

「生まれた国も親の顔も知らず、拾われた楽団で一生を終えなければいけない身の上の私を、あなたは羨ましいというの?

 

私が望むものすべてを持っているあなたが?」

 

 

 

「日本は外国に比べてまだまだ発展途上の国だけれど、その中でも私は華族として恵まれた環境で暮らしている。

 

側から見れば私は恵まれているのでしょう。

 

でもそれは私が望む幸せではないのです」

 

 

 

 董哉は苦しげな表情を浮かべて振り絞るように言葉を続ける。

 

 

 

 

「私はあなたのように世界を自由に飛び回りたいんだ。

 

地位や名誉も関係のないただ一人の人間として、好きな絵を描きながら天に召されるその日まで世界中を旅したい」

 

 

 

 董哉は微笑みながらそう言うとグレイスの手を取った。

 

 

 

「おかしなことを言うやつだと笑いますか?」

 

 

 

「いいえ、とても素敵な夢だわ」

 

 

 

 何もかもを持っていて少しの悩みもないと思っていた董哉の意外な胸の内に、グレイスは驚きながらも頷いてみせた。

 

 宝井男爵家の跡継ぎとして決して許されない董哉の夢。

 

 

 

「さしずめ私は籠の鳥としての生き方しかできないのだな……」

 

 

 

 ぽつりと呟いた董哉の声があまりにも悲しみに満ちていて、グレイスは何も言うことができなかった。

 

 もし董哉が身分に捉われない身であったなら、諸国を飛び回り画家としての人生を謳歌することもできただろうに。

 

 キャンバスの中に描かれた董哉の果てしない夢の残像が、鮮やかにそれでいて儚げにグレイスの目の前に迫り来るのであった。

 

 

 

「グレイス、あなた方はいつ横浜を発たれるのですか?」

 

 

「五日後には次の場所へ移動すると長が言っていましたわ」

 

 

「五日……」

 

 

 董哉は少し眉をひそめたが意を決したように小さく頷いた。

 

 

 

「その五日間を私にいただけないか?」

 

 

 

「えっ……?」

 

 

 

 董哉は訳がわからないといったグレイスの両肩を掴み、

 

 

 

「あなたを描きたいんだ」

 

 

 

「私を?」

 

 

 

 驚くグレイスの肩に置かれた董哉の手が、さらに力強くなってゆくのにグレイスは思わず声を上げた。

 

 

 

「……すまない」

 

 

 

 ハッとして董哉は手を離し、そしてグレイスの青みがかった灰色の瞳をじっとみつめた。

 

 

 

「これから日本も世界の中でどうなるかはわからない。

 

もしかしたら外国と自由に交流できない世の中になってしまうかもしれない。

 

でも私は私の夢を諦めたりしたくないんだ。

 

そのことをずっと心に留めおくためにも、あなたの姿を描き残したい。

 

あなたは私にとって憧れの存在だから」

 

 

 

 根無草のような自分の身の上を憧れだと言う董哉の瞳は、欲しくて欲しくてたまらない自由への想いに輝いていた。

 

 

ーー人生はうまくいかないもの。

 

 

 ないものねだりといえばそれまでだが、自分にないものをひたすらに欲することが人生なのだろうかと、グレイスはふっと笑みをこぼした。

 

 

「グレイス……?」

 

 

 

「わかったわ。

 

絵のモデルをすればいいのね?」

 

 

 

「ありがとう……!

 

あなたの時間をいただくんだ、謝礼はさせてもらうよ」

 

 

 

 ホッとしたように笑った董哉はまるで少年のようであった。

 

 その夜からグレイスは董哉の自室で寝泊まりするようになった。

 

 長や楽団にはその旨を伝えて了承を得たが、まさか絵のモデルをするためだとは露ほどにも思ってはいないようだった。

 

 宝井男爵はこれまでどんな女性にも振り向きもしなかった息子がようやく興味を示したことに安堵の息をつき、所詮は戯れの情事、たとえ外国人の踊り子であっても今は目を瞑ろうと知らんふりをしているらしかった。

 

 華族の貴公子を虜にし、帰国までの間片時も離さずに側に置かれる美貌の踊り子の評判は高まり、ぜひ我が屋敷へもという依頼が後を絶たなくなってきている中、宝井男爵家の奥の一室では昼も夜も董哉がキャンバスに筆を走らせていた。

 

 青の更紗を頭から被り微笑みを浮かべる自分をみつめる董哉の瞳にほとばしる情熱に、グレイスは次第に胸を熱く震わせるのだった。

 

 疲れ果てて眠る董哉の額にかかる髪をそっと払いながらグレイスは目を伏せた。

 

 キャンバスが気になっているが、まだ完成していないうちにこっそり見るのはなんだか気が引けて、執事が運んできた紅茶をカップに注いで意識を無理やりキャンバスから引き剥がした。

 

 香り高い紅茶の匂いが立ちのぼり、その温かさが胸に染み入るようであった。

 

 静かな寝息を立てて眠る董哉の顔色が急速に色を失いつつあることがグレイスは気になっていた。

 

 

 

「トウヤ様はご病気だ。

 

胸の病を患っておられるのだ」

 

 

 

 マークスの言葉がふいに蘇り、グレイスはまじまじと董哉をみつめた。

 

 一心不乱に筆を走らせる董哉が時折り苦しげな咳をし始めたのは、パーティーの翌日からであった。

 

 もともと蒲柳の質だという董哉が心血を注ぐようにキャンバスに向かう姿は鬼気迫るものがあり、そのことが董哉の命を縮めてしまうのではないかとグレイスの不安は募るばかりであった。

 

 とはいえ走り出した董哉の夢への情熱を、もはや止めることなど誰にもできなかった。

 

 たとえ叶わないとわかっている夢だとしても、董哉はキャンバスに自分の夢を描き続けるのだ。

 

 その姿は滑稽で哀れであったが、グレイスにはたまらなく崇高なものに見え、安住の地を持たず根無草のように流転してゆく自分の人生がほんの少し希望の色に染まったような気がした。

 

 期限まで残りはあと一日。

 

 大きな窓から差し込む陽の光が暖かな輪を作りながら床に散らばってゆくのを、グレイスはただぼんやりと眺めているのであった。

 

 

 

「あなたを描きたいんだ」

 

 

「私の憧れであるあなたを描きたい」

 

 

 

 熱い情熱の光を瞳に灯しながら約束の日は訪れた。

 

 精も棍も尽き果てたように、でもやりきった充足感に満ちた笑顔をグレイスに向けて董哉は天を仰いだ。

 

 キャンバスには蒼天のような青に更紗を纏ったグレイスが気高く微笑みを浮かべている。

 

 優しい微笑み、静かな微笑みではない、気高いという言葉があまりにも当てはまるグレイスの微笑みは、董哉が憧れてやまない世界中を自由に飛び回る天使のように見えた。

 

 

 

「これが私……?」

 

 

 自分であるのに自分でないような、言い表すことができない感情が湧き上がるのを感じたグレイスは声を震わせた。

 

 

 

「ありがとう。

 

私の夢を描かせてくれて、本当にありがとう。

 

あなたが帰国してもキャンバスの中のあなたを想うことで、私の夢は叶っている。

 

あなたとともに私の夢も世界を駆け巡るんだ」

 

 

 そう言うと董哉は胸ポケットの中から小さな懐中時計を取り出してグレイスの手に握らせた。

 

 

「これは祖父からいただいた私の一番大切な時計だ。

 

あなたに持っていてもらいたい」

 

 

 

 グレイスは驚いて時計を見ると、小さいながら細やかな細工が施されている精巧な作りだった。

 

 

 

「そんな大切なものをいただくわけにはいきませんわ。

 

楽団にはもう十分に謝礼はいただいています」

 

 

 

 グレイスが慌てて返そうとする手を遮り、董哉は静かに微笑んだ。

 

 

「これは片時も離さずにいる、いわば私の分身のようなものです。

 

あなたとともに連れて行ってくれませんか?

 

自由に飛び回ることができる世界へ!」

 

 

 

ーー私の代わりにこの時計に世界を見せてやってほしい。

 

 

 

 董哉の切実な思いがひしひしと伝わり、グレイスは思わず涙を溢した。

 

 

 

「どうして泣くの……?」

 

 

 

 董哉が優しく言い、グレイスの頬を伝う涙をそっと拭った。

 

 

 

「わからない……」

 

 

 

 夢を持ちながら絶対に外の世界に出ることができない、縛られた世界で生きることしか許されない董哉への同情の涙なのか。

 

 ほんの数日であったにもかかわらず、存在自体が自分でも信じられないほど大切なものになっていた董哉との惜別の別れが迫ってきているからなのか。

 

 グレイスは董哉の痩せ細った胸の中でいつまでも肩を震わせながら泣き続け、董哉は目を閉じてその背中をいつまでも優しく撫でるのであった。

 

 

 出港の準備にそう時間はかからなかった。

 

 旅に慣れていることもあり楽団員たちの動きはいつも手早く効率的だ。

 

 宝井男爵家の子息に気に入られたグレイスがぎりぎりになって戻ってきたことに、楽団員はようやく全員が揃ったと顔を見合わせながら安堵の息をついていた。

 

 思った以上に評判が上がった楽団の帰国となれば人も騒がしくなることを考慮して、日が昇る前の出港となった。

 

 人もまばらな港に停まる船に楽団員が乗り込み、長が見送りに来たマークス神父と名残惜しそうに話している。

 

 グレイスは少し離れてその様子を見ていたが、どこかに董哉の姿がないか悟られないように目だけで探していた。

 

 

 

「トウヤを探しているのか?」

 

 

 

 サリヤの声にグレイスは思わず身構える。

 

 そんなことはない、そう突っぱねようとしたがうまく言葉が出てこなかった。

 

 服のポケットには董哉の分身である懐中時計がグレイスとの出港を心待ちにするように、力強く秒針を進ませている。

 

 

 

「今回は特別な国だったな。

 

おまえにとって、きっと忘れられない特別な国だ」

 

 

 

 サリヤは優しく言い、グレイスの髪を優しく撫でて一足先に船上へと向かって行った。

 

 薄紫の空が次第に橙色に染まり始め、やがて出港の時間がやってきた。

 

 グレイスが後ろ髪を引かれながらそろそろ船に乗り込もうとしたとき、グレイスの瞳に小走りに駆け寄る董哉の姿が映った。

 

 

 

「トウヤ!」

 

 

 

 グレイスは董哉を強く抱きしめる。

 

 最後に会えたことが何よりも嬉しかった。

 

 おそらくこれが今生の別れになることは、グレイスにも董哉にもわかっていることであった。

 

 

 

「良かった、間に合って……!

 

やっぱり見送りたかったんだ。

 

あなたを、あなたとともにゆく私の分身を」

 

 

 

 息苦しそうな董哉の背中をさすりながら、この時が永遠に止まればいいのにと思った。

 

 地位も名誉も捨ててこれから一緒に旅に出ようと、喉元まで出かかった言葉を無理やり飲み込んだ。

 

 どんなに叶えたい夢があったとしても、董哉はきっと籠の中から飛び立つことはしないだろうとグレイスにはわかっていた。

 

 やがて無常にもそのときが訪れた。

 

 船に乗り込もうとしたグレイスはもう一度董哉に駆け寄ると、頬にキスをして身体に纏っていた青の更紗を董哉の身体にふわりと被せた。

 

 そして懐中時計が入ったポケットに手を当てて、

 

 

「トウヤ!

 

あなたの心は私と一緒に世界を巡るために連れてゆく!

 

代わりに世界中の風が沁み込んだ更紗を、私の心とともに置いてゆくわ!」

 

 

 

 朝陽が昇り始めた空が金色に染まる中、船は汽笛を鳴らしながらゆっくりと岸壁を離れてゆく。

 

 青の更紗に包まれた董哉は今にも泣きそうで、でもとても幸せそうにグレイスの瞳には映った。

 

 グレイスが片時も離さずにいた母の温もりを感じる唯一の宝物を董哉に託したことがどれほどのことか、グレイスに芽生えた董哉への想いの深さに楽団員たちは皆一様に驚きを隠せなかった。

 

 

 

「トウヤ、私、さよならは言わないわ!

 

……またどこかで、必ず!」

 

 

 

「……ありがとう。

 

グレイス、また、どこかで!」

 

 

 風になびく青に染まる董哉の姿が次第に遠ざかり、やがて見えなくなってしまってもグレイスは甲板から離れようとはしなかった。

 

 潮風を受けながら瞳にとめどなく涙が溢れるのを拭うことなく、董哉もおそらくまだ立ち続けているであろう港の方角を、グレイスは真っ直ぐにみつめているのであった。

 

 

 

 日本を離れるとグレイスには踊り子として諸国を回るいつもの日常が待っていた。

 

 ただ今までと違うのは心の拠り所とするものが青の更紗から金の懐中時計になったことだ。

 

 東の国で思いがけず出会った董哉との忘れ難い思い出と、董哉が絶対に果たせない夢が詰まっている金の懐中時計。

 

 カチコチという秒針の音を聞くたびに董哉の声を、姿が眼裏に浮かび上がり、グレイスの心は切なさで溢れそうになる。

 

 ステージを終えたグレイスがそろそろ休もうかとする頃、長とサリヤが連れだってグレイスの部屋を訪れた。

 

 やけに神妙な顔つきの二人を訝しく思っていると、長が封筒に入った手紙を差し出した。

 

 

 

「マークスから手紙だ」

 

 

 マークスの名前を聞いて一瞬嫌な予感がグレイスの心をよぎり、平静を装いながら手紙を開くと、そこには董哉の死とその後の宝井男爵家の様子が綴られていた。

 

 以前から患っていた胸の病がいよいよ重くなりついに亡くなってしまったこと、宝井男爵家の跡継ぎの死去だけに厳かだか大々的な葬儀であったこと、そして棺の中にグレイスが董哉に託したあの青の更紗が納められたことが書かれてあった。

 

 グレイスは手紙を読みながら感情が凍ってゆくのを感じた。

 

 遠く離れていても同じ星で生きているのだという思いで、これからの人生もしっかりと歩いてゆけると思っていたグレイスだった。

 

 長とサリヤは微動だにしないグレイスに慰めの言葉をかけ、顔を見合わせながら部屋を出て行った。

 

 やがてゆっくりとグレイスの頬を涙が伝うが、優しく拭ってくれる董哉はもういない。

 

 グレイスが帰国してから片時も離さずにいた青の更紗を、棺に一緒に納めることは董哉の遺言であったという。

 

 世界中の風を受けて沁み込んだ更紗は、董哉にとって夢への憧れと希望が詰まった何よりもかけがえのないものなのであった。

 

 そしてもう一つの遺言としてあったものーー。

 

 長が手紙とともに持ってきた箱根を開いてみると、そこにはあの日のグレイスの姿を描いたキャンバスが納められていた。

 

 

 

ーーこの絵をグレイスに……。

 

 

 

 あの日董哉の瞳に映っていた自分が、なんと気高い微笑みを湛えていることか。

 

 董哉の部屋に満ちていた懐かしい油絵の匂いに包まれた瞬間に、グレイスは声を上げて泣いた。

 

 もう二度と会えない寂しさと悲しみが襲う一方で、すべての苦しみから解放された董哉の魂が、蒼天に吹く風に乗って世界中を飛び回っているのだとグレイスは思った。

 

 懐中時計を取り出すと秒針がカチコチと軽快な音を刻んでいる。

 

 その音を聞いていると、グレイスは不思議な安心感に包まれた。

 

 

 

ーートウヤ、あなた、ようやく夢を叶えたのね……。

 

 

 

 キャンバスの向こうにあの優しい笑みを揺蕩わせている董哉の姿が見えて、グレイスは涙でグシャグシャになりながら笑った。

 

 

 

ーーグレイス、世界はなんて素晴らしいんだ!

 

 

 

 頬を紅潮させた董哉の興奮した声が聞こえてくるようだ。

 

 キャンバスを窓辺に飾ると暖かな陽の光が降りてきた。

 

 光の中で目を閉じると暁の風に吹かれながら佇む、青い更紗に包まれた董哉の姿が浮かんできた。

 

 

 

ーーそう、私たちはこれからずっと一緒に世界を旅するのよ、トウヤ……。

 

 

 

 グレイスの言葉に応えるように、懐中時計の音が優しく響いてくるのであった。

 

 

 

                   完

 

 

 

夢を諦めなければならない時代、環境にあったなら、自分ならどうするんだろうと思いながらグレイスと董哉の物語を書いてみました。

 

ラストは『希望』で(●´ω`●)✨

 

 

 

最後まで読んでくださりありがとうございます

(*´꒳`*)