おはようございます(о´∀`о)
いつもならば日曜日の神社参拝の記事を書くのでありますが、今日は私にとって特別な日なのでそのことを書こうと思います。
今日8月9日は私の故郷、長崎の原爆の日です。
75年前の11時2分に長崎はその瞬間を迎えました。
私の母はそのとき4歳で、家は市内ですが爆心地とは少し離れており、山陰になっていたことで無事でありました。
ただその瞬間には感じたことがないくらいの大風が吹き、屋根に上がって修理していた近所のおじさんが吹き飛ばされたと聞きました。
長崎に生まれ育った私は、子どもの頃から『戦争と命』について考える機会が身近にありました。
核爆弾が投下された街なので普段から戦争や命の尊さについて話を聴き、学ぶ機会がおそらく他の県にお住まいの方々よりも多かったと思います。
私の実家の近くには今でも防空壕のあとがありますし、平和公園のそばには被曝した刑務所の当時の壁がそのまま残されていたり、爆風で吹き飛ばされて鳥居が片方しか残っていない『片足鳥居』もあります。
(鳥居のそばには飛ばされた方の鳥居が積まれて置いてありました)
9日に学校に行くと生徒は原爆集会のため体育館に集まり、先生や被爆者の方の話を聴き、歌を歌い、投下された11時2分になると黙祷を捧げます。
いつも通りの朝を迎え、いつも通りの暮らしが続いていくと思っていた方々が、一瞬にして全てを奪われてしまった。
そして残された方々も想像を絶する苦難の道を歩いて行かれた。
原爆投下から75年。
今でも後遺症に苦しむ方々がいらっしゃいます。
戦争は何も生まない。
人が人としての心を持てなくなる。
子どもたち、またその子どもたち、続いていく大切な命を戦争なんかに奪われたくないです。
戦争はいらない❗️
戦争反対を叫ぶと同時に、戦争を知らない世代だからこそもっと学ぶ必要があることを感じました。
広島、長崎にお住まいの方々は戦争について学ぶ機会が多いと書きました。
私は現在関東に住んでいますが、子どもたちが小学生の頃、そして中学生、高校生となった今も、戦争について学校や地域で学ぶ機会が少ないなぁと思っていました。
次世代を担う子どもたちだからこそ、日本が過去どんな国だったのか、戦争のこと、原子爆弾投下に至り、その後どんな道を歩いてきたのか、世界で唯一核爆弾が落とされた国としてどうあるべきか。
子どもの頃からしっかりした学びの場があったらいいのにと、すごく思うのであります。
広島、長崎のことは広島、長崎だけのことではなく、日本全体でのとても凄惨で悲しい出来事です。
それは広島、長崎だけでなく、沖縄もそうです。
今私が住んでいる場所も空襲があったと聞きました。
戦時中は全国で多くの命が奪われ、危険にさらされました。
犠牲になられた方々の尊い命の上に、今の私たちの暮らしがあります。
お一人お一人に輝かしい未来があったんです。
被爆者の方から実際にお話を伺ったことがあります。
『戦争は、どがんことのあってもしたらいかん。地獄ばい』
私は被爆二世になります。
小さな声だけど、小さな活動だけど、今、私ができることを精一杯やっていこうと思います。
声を上げていこうと思います。
長崎に生まれたこと、きっと意味があると思うから。
今日は日曜日。
この日が日曜日なのも何かあるのかな。
神社参拝に伺って神様に生きていること、生かされていること、大切な人たちが生きていることへの感謝を申し上げ、世界が平和な未来を築いていけるよう平和への願いを申し上げてきます。
亡くなられた方々の御霊に想いを馳せ、長崎の空に平和の祈りを捧げます。
(Yahoo画像からお借りしました)
『夾竹桃の歌』
そして『原爆を許すまじ』という歌を歌い、原爆の恐ろしさ、戦争の惨たらしさ、平和への願いを強くします。
長崎原爆資料館のパンフレットです。
一昨年帰省したときに、子どもたちと母と一緒に訪れました。
リニューアルされて中はとてもシンプルでした。
シンプルだからこそ、その凄惨さがダイレクトに伝わります。
長崎に行かれた折はぜひ訪れていただきたい場所であります。
一昨年帰省したときの写真なので、12月の平和公園です。
今日の長崎は、きっとあの日のように暑い日だろうな。
最後まで読んでくださりありがとうございます(*´꒳`*)