こんにちは(о´∀`о)
今日は晴天☀️
風も爽やかでとても気持ちがいい日です(*´∀`*)
連勤の疲れがドッと出たのか、今朝は朝寝坊のまーたるです( ̄▽ ̄;)
たっぷり寝てもまだ眠い……(; ̄ェ ̄)
心は万年20歳だけど、身体は確実に歳取ってるのを日々痛感しています( ̄◇ ̄;)
子どもたちも高校生と中学生、そりゃ私も歳取るよなぁ〜と思いつつ、今日は『これが私です❗️』母さん編ですヽ(*´∀`)
私が『お母さん』になったのは、今から16年前のこと。
結婚して2年目、まだ正社員でバリバリ働いていたときでした。
妊娠がわかったとき、喜びと同時に、私の中にもう一つの命が息づいていることへの不思議な気持ちが湧き上がったのを今も鮮明に覚えています。
新しい命を授かったことに夫も喜び、やはり私と同じく私の中に息づく命、大きく言えば生命の不思議さをすごく感じたそうです。
私は口蓋裂という病気で生まれました。
私の場合、母が妊娠初期の頃に健康診断で受けたレントゲンの影響があったので遺伝性のものではないと医師から言われていました。
普段は受けないレントゲン検査をなぜかそのときは受けてしまったと母は言い、それもまた私の運命だったんだなと思います。
でも顔が作られている過程でラッキーでした❗️
これがもし心臓や内臓、手や足が形成される時期であったのなら。
それを聞いたとき、母と神様に感謝しました。
ナイスタイミング👍✨
私は顔に傷を負いながら生まれてきたことを、今ではとてもありがたいことだと思っています。
口蓋裂だからこそ経験できたこと、出会えた方々。
間違いなくこの口蓋裂を持って生まれたからこそ今の私があります(*´∀`*)
そして妊娠したことを義父母と母にも伝えると喜んでくれましたが、やはり気がかりは子どもが私と同じように口蓋裂を遺伝して生まれてくるのではないかということでした。
遺伝性はないと医師から言われても100%ではなく、その可能性は十分にあります。
でも夫と私は子どもができたとき、たとえ同じように傷を負いながら生まれてきたとしても、何一つ変わりない親の愛情をたくさんたくさん注いでいこうとはなしました。
「もし同じように口蓋裂だったらさ、おまえっていうこれ以上ないサポーターがいるんだから、全然心配することないだろ❓」
そう言って夫は何でもないように笑っていました。
母に伝えるとまず子どもの顔をエコーで診てもらいなさいと言いました。
当たり前ですが母は特に気にしていて。
昔は今と違って最新機器はなく、お腹の中の赤ちゃんの様子を見ることなんてできなかったから、私が生まれたときは覚悟はしていてもめちゃくちゃ驚いただろうなと思います( ̄▽ ̄;)
母にどんなことがあっても大丈夫だから安心しててと言うと、それ以上何も言いませんでした。
だから子どもが五体満足に綺麗な傷のない顔で生まれたとき、母はどれだけ安堵したのかなと思います。
私は里帰り出産せずに出産したので、出産後まもなく母が子どもに会いに来てくれました。
子どもを抱っこしたときの母の笑顔を忘れることはありません(*´꒳`*)
娘が生まれた2年後に息子が無事に生まれ、私は2つの大切な大切な宝物を得ることができました。
口蓋裂で生まれたことに私は恥じることもなく、今ではありがたいことだと思っていますが、今まで私が経験してきたことは楽しいことばかりでなく、差別的な視線や言葉に傷ついてきたことも真実であります。
できれば子どもたちには無縁のことであってもらいたい。
この苦しみや悲しみは私一人で十分です。
神様やご先祖様にそう願っていて、聞き届けていただいたことに本当に感謝したことを覚えています。
以前ブログに子どもたちの『胎内記憶』について書いたのですが、うちの子どもたち、誕生前に同じ雲の上に乗り下界を見ながら自分たちが降りていく先を探していたといいます❗️
そして子どもたちは私を選んでくれました。
『あそこに行けば自分たちは幸せになれると思ったんだ』
そう言って笑った4歳と2歳の頃の子どもたち。
『パパとママが一番おもしろかったんだよ❗️』
お、おもしろい❓( ̄▽ ̄;)
ここに来ればずっと笑ってられると思って、笑いながら言う子どもたち。
今その話をすると、え〜嘘でしょ〜❓と胡散臭い顔をしますが、夫もそれは鮮明に覚えていて、
『ならば全力で笑わせて、ここに来て大正解だと思わせてやろうな〜‼️( ̄∀ ̄)』
そう言っておよそ父親らしからぬ、友達か❓と言うような感じで子どもたちに接して今に至る夫であります。
子どもたちが成長するに従って、私も母親として愛情の限りを注ぐとともにいろんな葛藤を感じながら今に至ります。
私の顔に傷があることで子どもたちが友達からからかわれたりはしないか、いじめられることにならないか、そんな不安もかなり感じました。
もし母のことで何か言われたりしたら、それは友達は病気について知らないから言うのだから、そのときは子どもたちの口から説明できるようにその歳にわかるように病気について教えていきました。
子どもには子どもの世界があり、親が立ち入って行けるにも限界があります。
私の傷のせいで子どもたちが後ろ向きにならないようにするにはと、けっこう悩んだ結果、
子どもたちに任せよう❗️ヽ(*^ω^*)ノ
ありのまま、隠すことなく傷のことを話すと、子どもたちは黙って聞いてくれて、
「大丈夫❗️何か言われたらちゃんと伝えるから。それに特に何にも言われないよ〜」
ね〜、と笑いながら顔を見合わせている子どもたちに余計な気を遣わせて申し訳ない気持ちと、すごく頼もしくて嬉しい気持ちが混ざり合って湧き上がってきたまーたるです。
見た目に目立つ母を持ち、思春期真っ只中の子どもたちなりに思うことはあると思います。
だけど子どもたちが空から私を母と選んでくれたからには、夫が言うように私も、
『ママがママで大正解‼️ヽ(*^ω^*)ノ』
そう思ってもらえるように、腕まくりして身体を張っていくマナティ母さん、
『これが私です❗️』
最後まで読んでくださりありがとうございます(*´꒳`*)